語学

中国語を習い始めて結構経った。今の講師の人とも何だかんだで一年くらいの付き合いになり、ある程度お互いに阿吽の呼吸みたいなものがつかめて来ている。どのような質問をされるのかとか、どのタイミングで雑談モードに移行するのかとか、分かってくると中々楽しいですね。さて別に講師の中国人の方に何の不満もあるわけはないのだが、ときおり妙な気持ちになる。例えば、
『あれは私が登った富士山です』を中国語に直してみてください、とか言われるとそういう感慨が顕著である。登った富士山……? まるで富士山が幾つもあるような印象を受ける日本語だ。例えば富士山ほどの存在感のあるものなら、往々にして富士山を目的語にした日本語を日本人は組み立てていくと思うのだが、この例の場合、登ったことが目的語になってるんですよね。だから違和感がある。まあ文法の練習ということであくまでの例文でしかないのだが、そんなことをつらつらと思ってしまった。だからどうした? と言われれば別にとしか答えることが出来ないが。
さて年明けにはまた中国語のテストがあるぞ。使わないと脳みそは劣化していくから、それを防止する意味の勉強の機会と思えば少しは有意義なのですがね。