ラブライブ二期の感想文 第8話〜最終話

<八話:私の望み>
物憂げな希と、「わかってるから」という風の絵里。、これは……という七話での引きからの八話。
冒頭、ラブライブ本予選前の参加スクールアイドル達による挨拶会で、優勝宣言する穂乃果。おいおいおいと驚く一同だが、希は少し違うことを考えている。ついにここまで来たと。一期から満を持しての希回である。
OPをはさみ、アイドル研究部部室。大それた優勝宣言を皆にとがめられる穂乃果であるが、アライズのセンター綺羅ツバサが、「この本予選はトップレベルの争いになる」と言っていたことを聞き、何だか嬉しそうな穂乃果。認められてるんだ、と。重ね重ね、はっきりとは描かれないが、穂乃果がツバサを大いに意識してることが伺える。
このほのツバのライン、恐らく誰も二期開始前には予想しなかった関係。これ、もう少しがっつりと描いても良かった気がするんだけどな……。それを踏まえて『みんなの夢』に繋げることも出来そう。でも、ほのツバに比重が寄りすぎても上手くない。悩ましい所。

さて、ラブライブ本予選を間近に控え、新曲を作るのか、それともこれまでの曲でクオリティを更に高めるのかの話し合い。ここで希が、ラブソングはどうやろか、と提案する。なにゆえラブソングなのか? 先取りになるけど、はっきり明確な理由や答えは無い、と思う。希の心境を表すもの、表したいものがラブソングだったんじゃないかと。現段階ではこれまで無かったから、というそれらしい方向で皆の気持ちは整い、じゃあ何でこれまで無かったのかと海未に白羽の屋が向く流れは、わかっていても笑ってしまう。作詞者の恋愛経験談義は避けて通れない道でもある。結局、経験がないと判明し一同安堵する。
しかしラブソング、作るとしてどうすればいいのか。そこでアイドル研究部面々が始めたのは、バレンタインごっこ。チョコを意中の人に渡す、という体で演技?など行う。希は相変わらずビデオカメラで撮影。緊張感が増すし、後で個人的に楽しめるし、という希。いずれも嘘ではないけど後者はイメージと内実は少し違う。ちなみにこの辺り、もぎゅっとLOVEで接近中のMVの雰囲気と似通わせている。これはこれで楽しめるし、「え、もぎゅっとなの?」と思わせるミスリードでもある。もっぎゅはもっぎゅで悪くはないのだけど、期待される曲はもっぎゅではない。
結局方向性の模索は捗らず、皆で帰路へつく。やはり既存の曲を更に詰めたほうがと帰りすがら固まりかける。しかし絵里が、やはり新曲を作るという方でやってみないかと提案。もう少し考えて、日を改めて集まって考えようという絵里であるが、真姫は違和感に気付く。作曲者だからだろうか?新曲用意するうえで真姫が一番負担が重くなる。これもはっきりとした理由は無いように思う。絵里の態度に違和感を直感的に覚えたのかなんなのか。一期で加入前の絵里に食って掛かったこととか、加入後の合宿で絵里と希に世話を焼かれたこととか、絵里希となにかと絡みのある真姫。なにか、そのへん含めて思うところがあるのかも知れない。いつか仕返し(世話を焼き返してやる)と思っていたのか。
皆と別れ、絵里と希の二人きり。あくまでラブソングを作ろうとする絵里。そんなに無理しなくとも、という態度の言い出しっぺの希であるが、絵里はあくまで希の意見を尊重する。絵里が希を優先させること。それにはもう理由は必要ないし、それでもきちんと理由は用意されている。明らかになるのはもう少し後のこと。

日を改めて穂乃果の家の居間。皆で集まりラブソングのために恋愛映画など鑑賞する。ここ、メンバーの集中度が恋愛への興味度を表わしているように見える。興味しんしんのことり、絵里。そして花陽はテレビにかじりついている。にこ、真姫、希はごくごく一般的に、普通に観賞してる。そして穂乃果と凛は完全に興味を失い寝るという。ここで一番拒否反応、というか恥ずかしがっているのは海未。作詞担当がこの有り様だから、あの曲はけして恋愛の曲というわけではないんですよ、と言われている気がするのはただの深読みとなる。
結局、曲作りのヒントも思うように得られない。ここで真姫と海未が、やはり新曲は難しい。完成度が下がるだけだと新曲に反対する。絵里はまだ新曲にこだわるが、希が、新曲にこだわる必要はないねんとやんわりと場をなだめる。言い出したのは希だが、無理を通そうとはしない。むしろ絵里が傍目に不自然だ。
どうしても気持ちがおさまらなかったか、帰る絵里と希を真姫は追う。結局、三人で一人暮らしをする希の部屋へ。そこで、九人でみんなで曲を作りたい。曲でなくとも、何かを生み出したい。それが夢だったと絵里が真姫に教える。そのために、ラブソングはどうやろかと提案した。
それから、希の過去から今、そして本心の部分の話へ。取りも零さず一期の裏側の話そのものとなる。三話で、アライズを評して希は穂乃果の対になる存在と言われていたが、それがよくわかる部分。何故あれほどまでに一期で希は仲間を引き合わせるために立ちまわったのか。そして二期で何故しなかったのかが分かる。一期で九人が揃った時点で、すでに希の願いは叶ったから。すると絵里が、一度自分たちを見つめなおしてみようといった時、希がひどく気にしていた理由も分かる。あの時、自暴自棄になった穂乃果はメンバーたちとそれぞれに会い話し再生への道を歩んだのだけど、希とだけはあのとき絡んでない。再び九人を集めようと立ち回ってない。九人揃ったのに空中分解してしまった。とすると希にはもう、きっとその時点ではどうすることも出来なかったから。
結果として穂乃果は皆に助けられた。希の力添えでなく、みんなに全員に。それは二期でも今度は常に相互補助を果たしていく。希の助力なしで、誰かが誰かを助けていく。一話で皆が穂乃果を勇気づける。二話の合宿で誰かが誰かを助ける。三話でアライズの新曲を前に萎縮した皆を穂乃果が鼓舞する。四話でにこを希と絵里が。五話で凛を花陽と真姫が。六、七はどうしてもややあやふやではあるが、自分たちの力で自分たちの窮地を脱している。
繰り返しとなるが、一期で皆をぐいぐいと穂乃果が引っぱり、裏方で希が立ちまわる。かような明確な役割分担は二期で消失する。ある意味で穂乃果も希も、等身大のμ'sの一員として皆と平等の扱いとなる。
合宿しようよと言い出したのが二期では穂乃果でなく絵里。海未が穂乃果みたいな無茶を言ったりすることもある。一期を踏まえての二期の変化。それにより穂乃果は主人公という座から降りているようにも見える。つまり皆が主人公だ。μ'sは誰かのワンマンではない。皆が皆、同じなんだと。それこそが希の本当の願いであり、『九人のμ's』の最上の形だろう。
真姫と絵里がみなを呼び、希の部屋で一同に会すメンバーたち。一期でμ'sのために希が立ちまわってきたことは、視聴者だけが知っていること。希のおかげでμ'sが生まれたこと。それを仲間たちも知ることになる。
これは、視聴者にとって非常に嬉しいことであり、μ'sのメンバー達にとっても大事なこと。偶然集まった九人ではない。けれど、必然とは必ずしも言えない。希のおかげであるが、誰か一人欠けても成り立たない。じゃあ私たちは何なのだろう。どうして集まったのだろう。何故、今があるのだろう。偶然と必然の中間、それはまるで奇跡みたいだと。
じゃあ、クリスマスプレゼントとして、μ'sからμ'sを作ってくれた女神さまへと。新曲をやっぱり作ろうとなる。みなでキーフレーズを出し合って。μ'sから希へというのは、μ'sからμ'sへという意味でもある。廃校阻止のために生まれたのがμ's(穂乃果の目指したこと)なら、μ'sのためにμ'sが生まれ、そして有るのも(希の目指したこと)、またμ's。
みなで集まり、わいわいとやってるうち、外には雪がぱらつきはじめる。外へと出て行く九人。雪のぱらつく夜空を見上げ、それぞれに想いを言葉に乗せる。最後の希の、好きという言葉を含め、全てはあの曲につながっていき、八話は幕を閉じる。

ラブライブ!の二期に求められるもの。
熱心なファンのコモンセンスに則るならば、凛回、希回、そしてあの曲、スノハレをどのように絡めるのか、という三点は恐らく欠かせない。
けれど、これは個人的な主観になるけれど、凛回と希回は欲しかったけど、スノハレは上手く絡められないならばいっそ無くていいと思っていた。だってあのスノハレが、ただ何となく生まれた曲だったり、ただ誰か(アライズなど)に勝つためだけの曲だったり、どうでもいいようなエピソードを経て生まれるくらいならば、いっそ無い方がいい。現実でのライブを通して既にここまで育っているスノハレを落とすようなエピソードであれば、無い方がいい。
けれど、希回を経て、μ'sがμ'sという存在をかけがえがないものだと淡く自覚し(それも外部に向けてではなく希を主軸として)、そのために生まれたのがスノハレだと描かれた。
個人的にとても嬉しかったし、安心もした。μ'sのμ'sに対する想い(≒絆と言ってもいい)が最大瞬間風速を迎えたことであの曲が生まれたのだ。誰かのワンマンではない。九人が等しく輝くμ'sから生まれたかけがえのない一粒の光。それがスノハレだと。
また、これまで自分たちのことを曲に載せて歌ってきたのがμ'sなのに、スノハレは明らかに恋愛の曲である。なにゆえそのような歌詞の世界観となったのか。それは希がラブソングと言い出したからであり、その気持をみなが組んだからであり、μ'sがμ'sを想って作った曲だからこそ、ああいった恋愛の世界観となった。そのように理由づけてくれたことには制作スタッフに頭がさがる。どこまでもどこまでもファンの心理というものに誠実に作ってくれているのだと。またそれにきちんと物語を噛みあわせていること。それを非常に感じ取れた八話だった。そして、「ファン」という要素が更に重要な意味を持つこと、そしてそれが二期の肝心なところであることは、もう少し後になって判明する。


<九話:心のメロディ>
穂乃果の母と妹の雪穂が家の前の雪掘りしてるシーンから九話は始まる。地域的に珍しいまとまった降雪に見舞われているようだ。一方穂乃果はというと、部屋で二度寝を決め込もうとしていた。穂乃果らしい様相であるが、外から雪穂に起こされる。起こされた穂乃果は窓際へ。ふと窓から空を見上げ、こんなことってあるんだな、と呟く。今回のために用意した新曲とかぶったからだろう。
ライブ当日、穂乃果の起床。良くないイメージの晴れない二つの要素であるが、心配無用とばかりに穂乃果は元気そう。そんな風に幕開けたラブライブ最終予選当日の朝。

いつものように穂乃果を迎えに来る海未とことり。真姫を迎えに行く花陽と凛。そしてにこを迎えに行く希と絵里。いずれも、それぞれの家庭でのちょっとしたエピソードを含め、いかにも最終決戦前という雰囲気だが、ここで注目したいのは三年生組。絵里と希は言わずもがな。そしてにこと希も、(恐らく)気の置けない友達という感じであったこれまで。(ただし希を含めにこ側はいつも二人をやや邪険に扱う。過去の上手く行かなかったアイドル研を知られてるからか?)
実は三年生三人での仲の良さというのは、これまであまり描かれてない。けど、決してないわけじゃない。二年組は昔から変わらぬ仲の良さという繋がり、一年組は新しい繋がり、とすると三年組は『過去』というのが繋がりのキーとなる。絵里もにこも彼女達なりに過去は受け入れ、皆とは上手くやっている。しかし年長という体裁もあるからか、彼女たちは三人であんまり馴れ合わない。仲の良い三人組になってた可能性もあるかもね、くらいに思ってるかもしれないが。今更、というのも大いにあるかも知れない。

ここで一つ考えられること。希はμ'sのために最大限立ちまわったけど、例えば生徒会のためには何もしてない。絵里と委員たちで全く意思疎通取れてなかったからそれは明白。希がちょいと動けば簡単に解消できたはずである。同様に希はこれまで、にこと絵里を引きあわせたりもしなかった。一年達を知り二年生たちを知り、そしてにこと絵里へも働きかけつつ、μ's結成へと働きかけた。『やりたいこと』を頭から排除し、『やるべきこと』にばかり身を砕く絵里。そして『やりたいこと』を実現出来ず一人きりのにこ。その両者を希はきっと一年生の頃からずっと見ていた。けれど希は、あくまで絵里の傍らに居続けただけだ。にこは世話を焼かれるのを拒んだか、それとも別な理由か。三年生たちの『過去』。絵里とにこ、そして希。それぞれの過去は描かれたが、彼女らの『共通の過去』は作中では殆ど描かれない。
にこを迎えに行こうと言い出したのは希であるらしい。それは恐らく、ごくありふれた人間らしい気持ち。希の心残りというべきか、九人揃ったた後だからそうしたいと思ったというべきか。ウチら三年も、もうちょい仲良くてもええやん? 希のそんな素直な気持ちだろうか。望んだものの上に、更にちょっとだけ欲目が出たとでも言うべきか。何気ないありふれた気持ちであり、そんなシーンだ。
けれど以降、三年生たちは少し仲良くなる。物凄く遠回りして遅くなった。やりたいことを始めるのも遅くなった。そこに悔恨はいっぱいあるのだろうけど、それを露わにしないのも、また三年生、先輩なのかなと思う。後輩たちにみっともない姿は見せられないから。慣れ合う姿も見せたくはない。けれどちょっとくらいはいい。いいやん、みたいな。

さてこの九話。特に作画に気合の入っている回というのも相まり、この序盤、しっとりとして落ち着いた描写が素晴らしく映えている。冬、雪、最終決戦前。本戦ではないのだが、アライズがいるのなら事実上最終戦となる。実によく雰囲気が出ている。個人的に特に好ましいシーンだった。
そうして、学校へ。どうやらこの日、運悪く新入生説明会とラブライブ本予選がバッティングしてしまったらしい。穂乃果海未ことりは、立場上その会に同席しなければならない。理事長は本予選の方に行ってもいいというが、しかし穂乃果は説明会に出るという。この前向きな選択が、のちのち裏目に出る。
一足先にライブ会場へ向かう一年生と三年生。会場へつくと、そのセットの凄さに驚愕する一同。ここで絵里が驚きのあまり穂乃果に電話する。忙しさの渦中の穂乃果は煩わしそうに出る。それは最もな話。絵里の電話にあまり意味がない。何だか妙なシーンという印象以上ではない。現場にいない人間に現場のことを伝えたくなる気持ちはわからなくもないけど。もしくは自分たちの用意した曲に合致するセットだったからか。それは分からない。
運悪く朝からの雪は強さを増し、説明会が一時間遅れとなる。焦る穂乃果たち。玄関外に出ると、何とヒデコフミコミカの神モブ三人が雪ほりをしていた。豪雪地帯新潟の県民である私の目から見ても、服装から腰の入り方からセオリーに則ったいい仕事ぶりだった。流石の神モブである。新入生とその父兄たちの足場確保。つまり円滑な会の進行に一役買っている。ああ裏方たち、相変わらずいい仕事するなと誰もが思うが、これはまだ序の口にすぎない。こんなものは神にとって当然の所業となる。
やがて説明会が始まる。ようこそ音ノ木坂へ。私が生徒会長の高坂穂乃果です!と説明会で元気よく挨拶をする穂乃果。穂乃果の「やりたい」から始まったラブライブ。そうして生まれたμ's。廃校阻止という目的。そして廃校を阻止したことにより変わったこと。失敗したことにより少し変化した穂乃果の成長。ここがそれら全ての頂点であり、一期を受けての二期、という象徴の場面でもある。
μ'sの活動により注目度が増し、音ノ木坂は廃校を免れた。それはある意味で穂乃果の思い付き、やりたいという気持ちから始まったこと。母親が出身であることや、音ノ木が好きだということ。それら全部ひっくるめての「やりたい」となる。やりたいだけの気持ちではないし、やるべき理由だけでもない。そしてアライズを見たことで始まったのが、廃校阻止という活動≒一期だった。
結果廃校は免れ、音ノ木坂は存続することとなる。存続した!よかった!一期ではそれだけで充分で、更にそこから穂乃果暴走というまさかの展開から、本当にμ'sがひとつになる、という落とし所だった。つまり廃校阻止は穂乃果たちの目的ではあったけど、一期という物語の目的ではなかった。廃校阻止した!その事実は変わらず残り続けるのだが、一期の段階ではあくまで『作中展開による設定』だったわけだ。そして、それだけで良かった。
けれど二期はいわゆる廃校阻止後の物語ステージとなる。当たり前だけど廃校阻止して何も変わらない(その辺のことを作品内で書かない)のであっては意味がない。廃校を阻止した、という事実がただの設定にしかならない。前半部でも書いたが、廃校阻止のためスクールアイドル活動を進めていった穂乃果たち。結果として廃校は免れる。

そして廃校を阻止して変わったこと。μ'sのリーダーというのもあり、絵里の推薦もあり生徒会長になった穂乃果。一期での失敗があり、やりたいことだけ追い求める子ではなくなった穂乃果。合宿の時はまだ気持ちの置きどころに困っていたか、寝てばかりだった穂乃果。(寝てばかりという演出はどうかとは思うが……)
常に仲間を気にかけるようになったのは五話から。三話でのクラスメイト達の応援や、ツバサとの接触。四話でのにこと妹たちのことも、影響を与えただろうか。七話での生徒会での失敗も、雨降って地固まると言うべきか。そんな穂乃果だから、生徒会長という「やるべきこと」にも、責任を持てるようになった。廃校阻止し、来年度にも生徒が入ってくる。それは自分の「やりたいこと」から始まったこと。その、やりたいことをただのやりっぱなしではなく、生徒会長として受け入れ、迎え入れ、そして見届ける。堅実な成長を、実に堅実に描いたなと感心した。
実際、説明会では挨拶くらいしか仕事はなかったのかも知れないけど、新しく入ってくる生徒のために、生徒会長という立場を全うしようとし、そして成し遂げた。一期で起きた出来事がここに集約したことになる。音ノ木坂の変化と穂乃果の変化。そのいずれも。そして恐らく、この出来事と、更にその後の出来事を経て、仲間のやりたいことのために二期で走り始めた穂乃果の「やりたいこと」は、更に変化進化していく。

話を本編に戻す。そもそも時間がないのに説明会が押して、予選開始まで猶予がない。ここでアンラッキーに見舞われる。おりからの大雪で交通機関が麻痺して会場までの足がなくなってしまうのだ。徒歩でいけない距離ではないらしく、走っていこうと決意するも、外は大雪。一寸先も見えない猛吹雪。それでも諦めちゃダメだと八甲田山ばりに雪中進行を決行する穂乃果とことり、そして海未であるが、生徒玄関から敷地出口までの間っていうのも後押しして、なにをどうふったたいても絵面的に間抜けであり、演出過多すぎる。取ってつけた大雪とかないわー、と言う声は色んなところでよく見たが、冬なら大雪、特にああいう瞬間的集中的な猛吹雪はありえないことじゃない。しかも、ただ唐突に降りだしたわけではなく、穂乃果たちの前向きな選択の結果、猛吹雪というアンラッキーに見舞われてしまったわけだから。ラブライブ得意の合わせ技であるし、肝心なのはこの後となる。繰り返すが、演出過剰ではあるとは思うし、海未の決意表明などこんなコメディかシリアスか判断に窮するシーンでやることではない。
更にこのシーンに関して、「現実に合わせたな」という捻くれた意見を散見する。4thライブ時の首都圏を襲った記録的な大雪という出来事をフィードバックしたのだろうと。目的はいわゆる熱心なラブライブファンにおもねるため。そんな意見をいくつも見た。
これに関しては、ラジオ等で声優さん直々に否定している。内容への視聴者の解釈を否定するのは滅多にないことだろう。あの段階では既に九話は固まっていて後から大雪シーンを現実に合わせて追加したわけでは決してないのだと。あくまでも偶然であると。実際、大勢で制作に携わるのだからポンと変えられるものじゃない。声優さんがわざわざ言うくらいだから、というのも大きい。
けれど、真偽の程は別として、かなり以前から予定されている4thライブが冬に開催されるからこそ、アニメ本編でも事実上最終決戦となるラブライブ本予選を冬という時期に選定したであろうとは容易に推察できる。現実と作品内とを一体としてプロジェクトを進めるのがラブライブ。ひとえにファンの感情移入度を増すためであり、そうしてラブライブというコンテンツは成長してきた。いわゆる、これまでから何らブレない演出の一つである。現実とのリンク。常に作り手が意識するその点において、こうした『現実との一致』という奇跡の出来事が起こるのは全く自然なのではなかろうか。

そして、学校の敷地外に出たところで吹雪が少しやむ。周囲を見ると道は雪がどけられている。音ノ木坂の生徒たちが総出で雪のけをしてくれていた。穂乃果たちの道を作るために。音頭をとっているのは勿論ヒデコフミコミカの三人。穂乃果たちのためにブーツまで用意して。生徒全員で手伝ってくれているとのこと。二期でこれまであまり仕事をする機会のなかった神モブ三人。ライブ場所が学校外であることが多くなかなかチャンスに恵まれなかったが、説明会前の雪かきで、あー仕事してんなーと思わせておいてこれである。上手に視聴者の予想をいい意味で裏切ってきてくれるのがラブライブだ。
がんばれーという生徒たちの応援の声を背に走る穂乃果たち。これも、一期で廃校を阻止したからゆえの生徒たちからの恩返しとなる。やりたいことをやり通した。その一期を受けての二期。今度は生徒たちが力を貸してくれる。廃校阻止したこと。音ノ木坂のために頑張ったこと。みんな、それを分かっててくれている。そして今応援してくれている。
応援の声を受け、綺麗に雪がのけられた道を行く穂乃果たち。非現実的と云うのは短絡的すぎ。歩いてか走ってか行ける範囲内の場所の雪を、音ノ木坂生徒恐らく約210人が雪のけをする。一年1クラス、二年2クラス、三年3クラスだから、ひとクラス30人としても210人となる。これは凄い数だ。
またここで、明確に穂乃果たちは、応援してくれている人たち、という存在をはっきりと自覚する。自分たちだけじゃない。みんながいる。みんなが応援してくれる。恐らく穂乃果にとっての『みんなの夢』というのは、これ以前まではあくまで身近な仲間たちに留まっていただろうが、ここで明確に見えた『みんな』という存在である。これが九話以降、ラストスパートへ向けての重要な伏線となる。

けれど、素晴らしいシーンではあるのだけど、生徒全員、と言い切るには少し足りない。果たしてかつてのアイドル研究部メンバーは参加しただろうか? それだけでなく、そもそも全員ってのは相当なことになる。そこまでμ'sは浸透し、そして支持を受けているかと突き詰めると、全員と言い切るのは流石に大げさかもしれない。生徒の八割くらいは手を貸してくれるだろうけど、全員と言うには少々無理がある。吹雪の演出過多と合わせ、特にこの九話、冒頭から素晴らしい出来ではあるが、ゆえに少々惜しい部分もある。
そうして会場へ辿り着く穂乃果たち三人。現地にはメンバーたちが待機し今か今かと待つ。駆けて来た穂乃果は、思わず絵里に抱き着く。怖かった、間に合わないかと思ったと。ここ、自分にはわざわざ絵里に抱きついた理由がはっきりとはとらえられない。たまさか一番近かったせいかも知れないけど、もともと絵里から引き継いだ生徒会長の座。やるべきことをしっかりやらなきゃ。けどラブライブ予選もすぐに迫っている。やりたいこと、やるべきこと。色んな事をきっと同時に考えていたはずで、ああ見えて重圧も相当だったのかも知れない。その緊張が途切れて抱きついたのかも。絵里が単純に一番お姉さんっぽいってのも、あるかもね。
そして間を置かずしてライブへ。ステージに立つμ's。それぞれに大好きなもの。想いを傾け寄せるべきもの。一人ずつそれを心で言葉にしていく。そうして最後の穂乃果の「μ'sが、大好きだったから」と。そうして始まる、印象的なピアノのイントロ。スノーハレーション。

八話から通してだけど、スノハレまでの繋ぎはこれ以上なかったと思う。あくまでもμ'sのμ'sのための曲。その想いがピーク値を超え、それこそ光のハレーションのように輝いた結果生まれたのがスノハレ。曲のイメージに違わない道のりだったと思う。ユメノトビラに続くμ's勝負曲の系譜。『みんな』の力添え、雪をのけ道を作ってくれたこと。だからここまで来られたこと。クラスメイト達。メンバーの家族たち。いずれも一期から通して、そして二期で更に明確に広がった『みんな』という存在。彼ら彼女らが応援してくれている。


そしてステージの上では、はじまりの『みんな』が歌う。穂乃果が二期第一話、つまり最初に意識した『みんな』、仲間たちだ。直前の第八話で最高のレベルにまで高まった『みんなの絆』。それを体現する曲、スノハレを歌う。みんなの絆の力で勝つ。
いわゆるフィクションにおいて時折見かける『絆の力』。それをご都合主義と嘲る人は世の中にはいるだろうが、ラブライブは一期からずっとそれを書いてきた。悩んでいる仲間を助けるのは別の仲間。またその仲間を救うのは、以前に手助けした人であったり、他の仲間であったりする。いわゆる『キャラ回』というのをラブライブ!は重ねてきているわけだが、よくあるキャラ回と少し違う。あくまでもμ'sメンバーの問題や悩みは、μ'sメンバーが解決する。それがラブライブ!。他所の第三者だったり脇役だったりしない。辞めると言い出した穂乃果を神モブたちが励ましたくらいで、μ's外の人間が一切絡まない。ある意味で自家中毒になりそうなくらいにμ'sのことはμ'sで、というのを繰り返してきたのだが、絆の力、というのを間違いなく正真正銘に表すひとつの手段であると思うし、象徴としてのスノハレがある。それにより勝負に臨む。
ラブライブは誰かを打倒する話ではない。あくまでも自分たちの内側の話となる。誰かを倒すためのスクールアイドル活動ではない。それが一期。二期でもそれは変わらないのだが、『自分たち』という仲間も、『みんな』の一部なんだと穂乃果が自覚するところが二期の始まりとなる。穂乃果にとっての『みんな』とは、まだこの段階では仲間たちだけだ。それ故の「μ'sが大好きだったから」という想いである。その象徴としてのスノハレ。
また、仲間たちという『みんな』だけでなく、応援してくれる生徒たちという『みんな』が明確に現れたのもこの九話となる。それを明確に穂乃果が意識するのは、あとほんの少し先となる。

そして、スノーハレーションという曲。穂乃果ソロでセットがオレンジ一色になるのも、勿論、ひとつの曲の演出として素晴らしいのはあるし、熱心なファンにとって、何よりも嬉しい演出だったと思う。またこの回はエンディング曲がない。ED曲がダメなわけではないが、スノハレの後にかかるのは間が抜けている。そのへんの感覚もお見事。そうして九話は幕を閉じる。九人のμ'sという『みんな』をここでやり切った瞬間でもあり、そして、自分たちよりも外側にいる『みんな』という存在をキーとして、ラブライブという物語は誰も見たことのない場所へと向かっていく。

ただ、不満が全くないわけではない。
・吹雪中の穂乃果たちが演出過多すぎてギャグにしか見えない
・生徒全員が雪のけしてくれているという話だが、さすがに全員というのは、これまでの一話から九話までから踏まえても無理がある。ほぼ全員、には行くだろうが。それは、旧アイドル研メンバーや、一年生の放送委員の子をうまく活かすことで表せたかもしれないことだけに惜しい。
・遅れた穂乃果たちが会場に到着してからライブまでノータイム過ぎる。同時に、アライズの新曲をやってくれても良かった。

でも、それでもこの九話がダメとか言うのはバチが当たる。これまでの二期、そして一期。アニメ外の展開のこと。そして、これからのこと。そしてそもそものこの九話のこと。不満点を補って余りある素晴らしい出来だったと思う。


<十話:μ's>
九人のμ'sとして走り続けてきた事にひとつの区切りでをつけた九話。ここからラストに向け、また新たな方向へと舵を切り直す。というより、もともと想定されたものへと正面から向かい始める。
晦日の夜、海未とことりが穂乃果の家へ。初詣に行く約束をしていたらしい。お馴染み神田明神へと赴く三人。メンバー達も約束していたらしく、続々と集まってくる。そこで、偶然にアライズの三人と出会う。あけましておめでとうございます、と挨拶する穂乃果。海未たちも続く。やっぱり穂乃果はアライズに、恐らくツバサを特別視している。好意、友好、尊敬、ライバル心、スクールアイドルの先輩。色々なものがあるのだろう。
のんきでマイペースで、でも度胸あって根性もある。そんな穂乃果の誰かにおもねるような、照れるような、緊張したような態度はアライズの前でのみ表される。特にツバサ。やがて、緊張感あるぴりりとした雰囲気に。視線が交錯する穂乃果とツバサ。ここは息を呑む場面。やがてツバサの、優勝しなさいよ、という声で結果を知る。勝つだろうとは踏んでいたけれど、やっぱり勝ってくれた、というのは素直に嬉しいことだし、大きな達成感がある。

とはいえ、勝った瞬間を描いているわけではない。後日談判明式で説明しているだけ。穂乃果達にとってはアライズと話せたことで、勝ったぞ、と再確認出来たに留まるわけであり、勝った瞬間の熱量というのはない。故に、どこか落ち着いている。勝ったのに。決して勝ち負けを競うことがラブライブの本筋ではないが、彼女達が勝ち、皆で抱き合って泣きながら喜ぶシーンだって見たかったじゃないか。四組の演技が終わり、結果発表を待つメンバー達
その後、希の手伝いとして絵里とにこが巫女服で登場する。そこから多少コミカルなシーンも描かれるが、どこか明るくなりきらない。それは夜というのもあるし、本予選(事実上の最終決戦)の後という熱が覚めた後で、そもそもメンバー達も息が抜けている時期だからというのもある。
けれど一番は、卒業。三年生の卒業がもう間近に迫っている。メンバーも、視聴者もどこか終わりを予感して、盛り上がりきれないのはある。時間が進んで欲しくないという気持ち。意図は理解できるが、ラブライブ本戦出場を決めたわけだから、もう少し盛り上げても良かったのではないかと思う。
ラブライブ二期は一期とは異なり、完全一話完結型だ。継続型と完結型、どちらもメリットがあり、そしてデメリットもある。一期ではそれを上手に使い分けていたし、そもそも仲間たちが徐々に揃い、μ'sが大きくなっていく過程こそが『つながり感』を表わしている。そう、例えば一期四話と五話は完結型でそれぞれの物語は繋がっていないのだが、完結型である一話での起承転結と、継続型の繋がりという両方のメリットを発揮している。
対して二期。こちらも例えは四話と五話を用いる。他もそうだし、その二つも一話完結型だ。しかし、既にメンバーは揃っている。やっていることにそれほど大きな差はないのだが、『つながり感』が失われている。その分、ラブライブを目指していくという大目的は常に明示されてはいるのだが、それは目指しているだけだ。絵里がどうしてあんなにも頑ななのか。希があれこれと継続して世話を焼いてくる。凛と花陽とは、少しずつ初対面から知人へとなっていく。真姫は曲を作ってくれ、その後少し後に加入する。にこは最初から何か抱え込んでそう。それらを少しずつ話数を重ねるごとに掘り進めていったことによる『つながり感』はとても大きい。絵里回や終盤の穂乃果暴走のくだりは複数回で丁寧に、継続回としてやってくれたのも大きい。それでも1〜5話はきちんと質の高い一話完結型であるし、6話7話は個人的に好みではないが、コミカルなμ'sが見れる。8、9はラブライブ一期に似た継続回である。

けれど、10話と11話。いずれも重要な回だ。先取りとなってしまうが、10話はテーマに関わる根幹であるし、11話はμ'sの進退という大事な回だ。それらの回を一話完結型でやるのは流石に無理があったんじゃないかと思う。大きな結論が終盤でいずれも出るのに、それを一話完結で盛り上げるのは、そもそも無理がありすぎる。6、7でも感じたが、10、11も一期の絵里回のように継続回にしてくれたなら……。6、7は継続回として前半迷走しつつも楽しく、後半で失敗を全力で取り返す。そして10、11はその大いなる決断のために、ツバサや亜里沙、雪歩を前半中盤で絡めつつ、終盤へと走って行って、大いなる決断に辿り着いて欲しかった。というのが、私の些か我が侭過ぎる希望であった。10、11はそれぞれ完結型としても、それほど悪くはないし、方向性は全く間違っていないのだが──惜しい。率直にそう思った。

話を本筋に戻す。三年生たちのところへ亜里沙が現れる。来年は音ノ木坂に合格してμ'sに入れますようにとお願いしたと、楽しげに語る亜里沙。しかし絵里はなんとも言えない顔。この辺りについては近く明かされる。けれど視聴者はある程度察しがついてしまう。それは視聴者の気持ちもμ'sの気持ちも一致する部分であり、余計に寂しさが募ってしまう。
冬休み。けれどラブライブ本戦を控え、練習をするμ's。ここで入念な柔軟体操の入念な描写が、本戦のルールなどについて話し合い、説明しながらのシーンとなるが、ちょっと間が抜けていて可笑しい。入念にも程があると。柔軟にしろ描写にしろ。
そして、キャッチフレーズを決めようと言う話になるが、これといったものは浮かばない。穂乃果とことり、そして海未が学校の外に出ると、そこには綺羅ツバサが。穂乃果に会いに来たのだという。三話でもそうだったし、この10話でもそう。ツバサはいつだって海未とことりの間から穂乃果をさらっていく。
さて。穂乃果とツバサの二人は、湖のある公園の湖畔で二人きり。ベンチに座り穏やかに話す。が、ツバサの内心はそこまで穏やかではないだろう。対する穂乃果は憧れの存在と二人きりで恐縮しきり。試合で勝ったとしても穂乃果の中での最初の火はアライズに灯されたのだから。また穂乃果にとってはやはり、勝ち負けがどうしても大事ではないことが分かる。
ツバサは、どうして自分たちが負けたのか、アライズとμ'sの違いは何なのか。μ'sを突き動かす原動力とは何なのか。それを知りたいという。けれど穂乃果にもこれといって思いつかないらしい。
勝ったのはμ'sという『みんな』の絆であり、応援してくれる『みんな』の夢である。それを表現したスノハレであるが、穂乃果としては自分の気持ちに正直で精一杯だっただけであり、理由ははっきりわからない。ただ、アライズがいてくれたお陰でここまで頑張ってこれたのだと、穂乃果は率直に素直に伝える。それは、ごくごく真っ当に納得できる正直で素直な回答だ。こうして穂乃果がテレテレでツバサに相対していること。九話でぶつかったこと。三話でアライズ側からコンタクトを受けたこと。一期十三話でアライズがμ'sのライブを見ていたこと。それは全て、一期第一話で穂乃果がアライズのPVを見て、スクールアイドルを始めたからなのだから。

穂乃果がツバサに対してはやはり、明らかに緊張の度合いが違たり、少しよそ行きな感じがするのはリスペクトか、それを超えた何かがあるのか。やっぱりここでも分からないのだが、穂乃果とツバサ。恐らくセンター同士で、実物の方がずっと素敵ねと言わしめるほどには、穂乃果を気にかけているツバサ。この二人の繋がりが必要だった理由。
それは恐らく、こうして穂乃果に問いかけることに他ならなかったのではないかと思う。どうして負けたのか。μ'sの原動力とは何なのかと。これまでの穂乃果にとって、あくまで仲間たちのみであった『みんな』が、応援してくれる生徒たち様々な人を含めた『みんな』へと広がるための一石を投じること。この問いかけ、μ's内でやるには間が抜けてしまうし、神モブたちが絡むにはμ'sに直結しすぎている。雪穂や亜里沙は脇役であるし、また別の役割がある。すると、ツバサしかいない。μ'sに負けた立場、負けるべき立場だったツバサだからこそ。他の誰かには出来ない(できにくい、くらいか)の問いかけとなる。そのために三話から準備された穂乃果ツバサのラインとなる。と、私は考える。
三話はまさしく颯爽と現れた綺羅ツバサであるが、ここ10話では恐ろしいほど地味な役回りのみを引き受けている。つまり役割を果たすのみに終始しているし、どこまで行っても「話しているだけ」である。
アライズはよくあるライバルキャラではない。かといって切磋琢磨して高め合う関係とも少し違う。そしてラブライブは誰かを打倒する話ではない。するとアライズの本当の役割とは何だったのか。穂乃果に問いかけるという用意された役割は果たせたものの、『みんなの夢』というテーマに沿わせただけだ。
ここで少し、考え方の切り口を変えてみる。一期にあって二期にないもの。(逆に二期にあって一期にないものもあるが)その一つに、『大きな障壁、大きな困難』というものがある。一期においてそれは、ことりの留学、穂乃果の自暴自棄からのμ's空中分解の危機だった。やりたいことをやる。そのためのμ'sが形成される物語。それを力強く描いた一期にとって、μ's空中分解とは真っ向からテーマ性に相対する困難である。二期においても、ラブライブ出場、優勝を目指していくという『みんなの夢を叶える』というテーマがあり、それに対する困難として、合宿でのスランプや生徒会の失敗等、小さい困難はあるものの、頂上が見えないほど大きく高い壁ではない。
そして、仮に一期のような高い障壁を用意するならば、『みんなの夢を叶えるための障壁』を用意するべきだった。アライズは確かにラブライブ出場を目指すための障壁であるが、それはただの障壁にしかならない。穂乃果とツバサのライン。スクールアイドルの王者。そして『敗者』でもあるアライズ、そして綺羅ツバサ。この幾つかのパーツを使い、二期のテーマに沿った一期のように高い障壁は作れたのではないかと思う。いや、作って欲しかった。ただのライバルではない。穂乃果にとってはアライズですらも『みんな』であり、けれど生徒たちやにこの妹たちのように素直に応援してくれるとは限らない。何故なら敗者であるのだから。自分たちの敗北を受け入れられないとしたら、応援は出来ない。『みんなの夢』であるμ'sのラブライブ優勝も、ツバサにとっては夢となるはずがない。
作中でツバサは敗北を素直に受け入れ、この後はμ'sを応援していくスタンスを取る。けれどここは、敵が味方となる瞬間となる。元々の敵ですら『みんな』の一人となること。バトルモノであるなら、より大きな敵の出現によりライバル同士が手を組むのは王道であるが、ラブライブにおいてアライズすら凌駕する邪悪なスクールアイドルなど現れるはずもない。ならばその大事なポイントでラブライブらしく困難を乗り越えるドラマを見たかった。アライズという大きな存在を活かすことで。そうであったならと思ってやまない。

話を本筋に戻す。本予選当日、手伝ってくれた音ノ木坂の生徒たちを穂むらに招き、お餅を振る舞うアイドル研究部。お正月であるし、穂乃果たちらしいお礼の仕方ともいえる。たくさん集まった「みんな」を見、そしてツバサに問いかけられたこと。徐々に穂乃果の中で線を結び始める。
そしてその後、神田明神での練習中に、μ'sを応援するたくさんの絵馬を見つける穂乃果たち。これは明らかに「作品の外」、つまり現実を意識した演出でありまた、作中で絵馬がかけられてもこの段階のμ'sならば全くおかしいことはない。一期からずっとひたむきに活動を続け、活動の場所をどんどん新しい場所へと移していき、そしてアライズに勝ったのだから。二期冒頭で全くそんな風ではなかったのに、この10話ではそうであってもおかしくないと納得できる。
何故勝てたのか。恐らく穂乃果にははっきりとは自覚できていないしこうだと断言できない。けれど、自分たちが活動を続けられたこと、勝ったことも含め、ここまで来れたこと。それは間違いなく、自分たち以外の『みんな』に支えられてきたからなのだと実感する。雪穂、亜里沙、神モブ、雪かきしてくれた音ノ木坂の生徒たち、にこの妹たち、親たち。そして「みんな」というのは画面のこちら側の視聴者たちも含まれる。絵馬を吊るし、熱心にμ'sを応援している自分たち。
そうして、キャッチフレーズが完成する。みんなで叶える物語、と。二期のキャッチフレーズでもあり、二期以降ずっと掲げられていたこと。それをキャッチフレーズと穂乃果たちは決め、10話は幕を下ろす。

二期において非常に重要なパートであり、ターニングポイントとなる話である。一期でのことり留学の失敗。そして再生。二期で生徒会長となり、自分のやりたいことだけでなく、仲間のことを見れるようになり、そして外向きになった穂乃果の視線が、更にμ'sの外側の「みんな」へと向けられ、穂乃果の「やりたいこと」である「みんな」と共に進んでいくこと、叶えること(現時点ではラブライブ本戦優勝)に、μ'sの外にいる人々も含まれることとなる。
主人公の最終ステージへ向けた意識変化の回であるが、どうにもややぬるい作画レベルも含めて、全体的に地味で熱量の不足気味なエピソードとなってしまっている。キャッチフレーズが明らかになる場面はそうであるが、見所というのにも欠ける。というより見所がない。
九人のμ'sのある意味で頂点を描いた直後であり、「みんな」という周りに目が向く回でもあったわけだから。九話まででは徹底して九人を描いてくれたわけで。方向性は理解できるが、もうちょい……もっともっと頑張って欲しかったと思える10話だった。エンドシーンに向け、新たな方向へ加速していく。ある意味で九話と同じくらい大事な場所であったのだから。むしろ二期のどの部分よりも大事だったんじゃないかとすら思う。二期四話部分で同じ事を書いたが、テーマに則った内容ではあるが、穂乃果の意識が外に向く瞬間。この辺りのエピソード、もっと詰めて欲しかった。



<11話:私たちが決めたこと>
亜里沙と雪穂の音ノ木坂合格発表からはじまる。10話での態度からの通り、亜里沙はμ'sに入れるとはしゃいでいるが雪穂はどこか浮かない顔。μ'sって来年はどうするんだろうと。それはメンバー達は意識してたこと(でもしないようにしてた。卒業という言葉禁止としていたくらい)。本人たちはそれこそ卒業式までずっと意識しないようにしたかも知れない。でも、そうもいってられなくなる。それは本人たちでなく、次の世代が入ってくることで、いやがおうにも意識せざるを得ないこととなる。
亜里沙たちの合格について話すメンバー達。二年一年組は、彼女達がμ'sに入ってくるかも知れないと肯定的な気持ちをあらわにするが、その前に考えなきゃいけない事がある。三年生たちは当然、去りゆくものとなってしまうわけだから、一概に喜ぶわけにはいかない。にこは、私たちが卒業してもμ'sをやりなさいと叱咤する。それは非常ににこらしい意見。現実のアイドルがそうであるし、メンバーが代替わりするから、それが嫌だからやめる、というのは甘えになる。これまで避けてきた事柄であるから、メンバー達もそれぞれにそれぞれの意見や気持ちがある。
最後の絵里の一言。私たち(三年生)には決められない、ということ。μ'sのことはμ'sに残る人たちで決めて欲しい、と。それは確かに意見としてもっともな内容のものだ。μ'sは部活動でもあるから、卒業する自分たちが在籍し続ける、という選択肢はない。また得意の一般論かと見えなくもないが、一般論でありながら同時に絵里の気持ちが篭っているからこそ、メンバー達の心には届くし、視聴者にも同様に。もちろん止めてほしくはない。にこのように、続けねばならないという義務、使命感、責任感ではない。止めて欲しくない、という率直な気持ち。けれど自分たちのいないμ'sにμ'sを続けろというのもまた酷な話となる。それも気持ちの問題となる。率直な気持ちをそのまま込めたものが、私たちには決められない、という言葉となる。だから仲間たちに届く。

穂乃果が帰宅すると、亜里沙が来訪していた。遊びに来ている亜里沙がμ'sの物真似をする。かなり練習しているらしい。それを見て穂乃果は戸惑う。絵里もそうだし、穂乃果もそう。ことりや、花陽たちはそこまでではないが、絵里や二期の穂乃果はμ'sというものを多少俯瞰して見ている部分もある。果たして自分たちではない人間が入り、それがμ'sなのか?という葛藤だろうか。俯瞰した意見であり、九人のμ's、というものに対する並々ならぬ想いでも同時にある。
結局、雪穂が亜里沙に言い聞かせる形で、亜里沙はμ'sを諦めることとなる。同時に穂乃果も、μ'sというのは九人でμ'sだからと断ろうとしていたはず。苦しい選択とはなったはずだろうけど。亜里沙が好きなμ'sって一体何なの?という雪穂の問い。それは、取りも零さず九人のμ'sだから。自分の加入したμ'sではないはずだから。最も根源的なところ。自分たちも、何が好きでラブライブ!を見てきたのか?それは九人のμ'sが好きだから見てきた。亜里沙が入ったら?雪穂が入ったら?考えたことがないわけではないけど、それはただの空想であり二次創作。メンバーの変わったμ'sを見たいか?と言われれば、あるなら見るかもだけど、何が好きだったのか?という問いには、亜里沙と雪穂のいるμ'sとは答えられない。視聴者の素直な気持ちとも一致する(けど目を背けてきた、考えないようにしてきた、というのも一致となる)そういうシーンとなる。
が、どうして雪穂がそういうことを亜里沙に言えたのか?というのが疑問と言えなくもない。10話で雪穂はμ'sが危なっかしいというようなことを穂乃果と話していた。それはμ'sを見る目というより、まるで穂乃果を見る目である。だからこそだろうか。亜里沙ほどμ'sに入れ込むことはなく、勿論好きで応援はしているだろうが、「入りたい。μ'sになりたい」とは思わなかった故だろうか。そもそも距離があった。だからそういう客観的な意見を亜里沙に伝えられた、のではないか。
亜里沙に伝え教えるのは雪穂しかないだろうし。何が好きなのかと問うのもよくねられた、視聴者のことも組んだ言葉となる。(10話もそうだし、以降視聴者側とのリンクが特に見え始める)そして亜里沙がそれを言われたならば、おそらくは誰よりも身に沁みるのではないかと思う。九人のμ'sを好きであればあるほど、その理解と自覚は深くなるだろう。亜里沙がここで、まるで自分に言い聞かせるように自分のμ'sへの想いを語るのは、まさに視聴者の気持ちそのもの。
けれど、材料は揃っているものの、10話のツバサと同程度には亜里沙の物分かりが良すぎるという嫌いがある。同時に雪穂も物分かりが良すぎると言うべきか。女達に描写を多く割くわけにはいかないのだろうが、それでももう少し、ドラマが見たかったなと思う。夜に雪穂に問われ、翌日には受け入れている(十全にでは明らかにない無理しているのは伝わるが)のは、ノータイム過ぎる。出来事を並べただけである。10話でも、このシーンに繋がるセリフは亜里沙、雪穂はちゃんと話していた。一話完結型のデメリットがここ、10、11で顕著となってしまっている。前の回で話していたな、という理解に留まってしまうのだ。重ね重ねとなるが、パーツは揃っていたし方向性も合っている。故に惜しいと言わざるをえない。

とはいえ、この11話で本当に重要なのは後半シーンとなる。10話で重要なのは穂乃果の意識変化となる。描くべきこと、伝えるべきことと起伏あるドラマとして両立させることは難しい。どちらかというとテーマ性も重きをおいている二期における、一話完結型の作劇は、その話の中でそれぞれ起伏を作らなきゃならない。加えてテーマ性とすり合わせながらとなる。難しい部分となるが、もう少し頑張って欲しかったなと思う。重ね重ね恐縮ではあるが。
亜里沙の件に一段落がつき、そして穂乃果の中でもひとつの答えが得られ、そして後半へ。みなで遊びに行こうとなる。九人で遊びに行くことは無かったらしい。そういう印象は無かったが、合宿も確かに活動の一環となる。ボーリングやゲームセンターで楽しく思い思いに遊ぶ一同。純粋に楽しみ、楽しんでいる。けれど、それが無理に楽しもうとしてるようにも見えてしまい、辛い部分でもある。勿論、楽しい部分でもあるけど。
そして最後、夕暮れの海へ。穂乃果の行きたい所。真姫から、覚悟はできてる?と言われる穂乃果。ああ、二年一年は、言う準備をしてきてるんだ。恐らく決定的なことを。

ここから先は、語るべきことはあまり多くない。亜里沙ではないけど、μ's、ひいてはラブライブ!への熱量が大きければ大きいほど、大きなシーンとなる。きっぱりとはっきりと、μ'sはおしまいにします!と断言するのは、穂乃果たちらしいしラブライブ!らしい。意志を持って始め、そして意思を持って終わりとする。潔い決断であり、同じ場所にとどまらず前に進み続けるラブライブ!、そしてμ'sらしい決断である。一期の合宿で並んで海を見ていたけれど、そしてまた海で終わる。一期合宿の後に穂乃果暴走のエピソードとなるが、ならば海から九人のμ'sが始まり、海にて終わることとなる。
これまでのことが、終わってしまう。終わりたくはないけど終わらせなきゃいけない。語ることは無限にあって、逆に何も語れない。最初からずっと、頭の天辺からつま先までラブライブ!はμ'sのことをずっと描き続けてきたわけだから。余計なものは無いし余計な人もいない。たった一年足らずの時間だったにも関わらず、なのに、様々な事があった。なのに、たった一年だったんだ、と。九人からとなるともっと短くなる。希が、μ'sという名前をつけたこと。どんな気持ちで名前をつけたのか。それはスノハレの歌詞の一節にも当てはまるし、何だろうな。二期で希のそんざいが凄く大きくなって、亜里沙の気持ちも視聴者と一致するところではあるんだけど、希がいたから、というのが凄く尊い。九人が集まったこと。偶然と必然。それぞれの悩みを乗り越えたこと。協力しあって歩んできたこと。希の気持ちというのがあるから、それらそれぞれがひとつの線になる。そんな尊いものが終わってしまう。それはメンバー達にとっても、視聴者たちにとっても等しい。これまでに起きたことは、全てがμ'sだったのだから。

たくさん泣いて、一生分くらい泣いて、そして場面は部室へ。ホワイトボードに海辺の駅で取った写真をくっつけ、ラブライブ優勝と書く。悲しいし辛いけど、もうその悲しいことに対して泣き尽くした。あとはみんなで走っていこう、終わりに向かって。これ以上ないくらい爽やかな青春だと思う。こんな青春過ごしたかった。視聴者の人には過ごした人もいるのだろうけど、そう思わせたら勝ちだと思う。Aパートに不満がないこともないが、大事なシーンを大事に描いてくれた。それだけで充分過ぎる11話だった。


<12話:ラストライブ>
ラブライブ本戦の発表順くじ引きから始まる。穂乃果の薦めでにこがくじ引きをする。その結果が最後というのは、相変わらず運がいいのか悪いのかというところではある。
そうして、本番前日の練習を終え帰宅、となるはずだがみな、最後の練習であることから別れがたい。結局、学校宿泊を決行する。ここでことりが、理事長の娘というコネを活かし、宿泊許可を取り付ける。これまで親子らしいやりとりのない冷たい印象を受ける母娘であったが、きちんと母娘していて、最後の最後できちんと安心させてくれる。
夜の学校、寝間着で屋上へ。そして夜の街並みの照明を見、穂乃果が、それも「みんな」の光なんだと意識する。
この十二話、実は書くことがあまり多くないw けど見ている時間というのは確か異様に早く感じた。もう全部やりきった。もう悔いはない。そんな気持ちを端々に感じる。
そしてライブ当日。親たちや友達、仲間、後輩、そしてアライズもμ'sを応援している。そこで披露された新曲。衣装は、どこかはじまりの衣装、スタダ三人版をモチーフにしたような、正統的だけど、ちょっと古い感じ、古風な感じ。そんな衣装。そしてみんなで叶える物語、というフレーズが込められた曲。歌を終えてもまだやまない歓声。穂乃果がかつての講堂ライブのことを思い出す。いつかここを満員にしてみせます!と決意したこと。今、それが叶っている。何も無いところから初めてここまで来たこと。泣きそうな穂乃果と、そして徐々にアンコールへと歓声が変わっていく。
そうして、あの衣装に着替え、再びステージに出て行くμ's。始まる曲は、一期OP曲、僕らは今の中で。ラブライブという場所に到達したμ's。みんなで叶える物語、というのを達成したのだ。それが、それだけが存分に描かれた十二話だった。



<十三話:叶え!みんなの夢─>
そして、最終回。ラストエピソードとなる。卒業式当日。送辞ができたできたと朝っぱらからテンションの高い穂乃果。OP曲は無し。ススメトゥモロウをワンフレーズはさみ、一期一話を思わせる、私、高坂穂乃果!という元気いっぱいの語りから最終話はスタートする。これよこれ、この前のめり気味の威勢いいテンションがラブライブだ! と思わせる最終回の出足である。
学校へ行くと、何と矢澤家の人々勢揃いで、まさかの矢澤母まで登場する。にこの意外にマザコンな姿でほのぼのとさせつつ、一同は部室へ。見せたいものがあるとのこと。それはラブライブの優勝旗。そう、優勝したのである。このシーン、冒頭からテンションが高くラブライブらしいパワーを見せつけてくれる十三話にふさわしく、非常にコミカルで明るく、楽しくシーンを描いている。最終予選でアライズに勝ったのだから、事実上ラブライブ本戦でも優勝したようなもの。最終決戦へ向けて、六話七話という失速はあったものの、『みんなの夢』を基軸に物語を積み重ねた。九人のμ'sの最高の到達点であるスノハレも描いた。そうして得た本戦出場という切符であり、アライズを負かした。故にラブライブ本戦で優勝することにも疑問は無い。『μ'sが勝つ』という道のりは、既に最終予選で書かれている。同じ事を二度書く必要は全く無い。並み居るスクールアイドルを倒していく話ではないのだから、勝負事を描くのは一度だけでいい。
ただ、10話でも書いたことであるが、『勝った瞬間』のμ'sは描いて欲しかったなと思う。本予選後でもいい。ラブライブ優勝の後でもいい。これ、いずれの場合も結果が後から描かれる方式である。先程同じことを二度書く必要は無いと言ったが、この場合にも当てはまる。どちらかが結果が後から判明する方式ならば、片方は結果が判明した瞬間を描いて欲しかった。

そうしてもうひとつ。これはもはや構造的な欠陥だったのかも知れないが、アライズに勝利したことにより、ラブライブ本戦が消化試合になってしまったことだ。あくまで個人的な気持ちであるが、本戦を勝ち進んでいくμ'sを見たいか?と言われればノーだ。九話、10話で散々書いたが、アライズに勝つこと。それは、『勝利』というただそれだけの意味があったわけではない。八話でのμ'sの絆。九話での『みんな』の力添え。10話で穂乃果がツバサに問われてより広い『みんな』に気付く。あの勝利にはとてつもなく大きな意味があった。それ以前にも、それ以降にも。しかし、結果としてラブライブ本戦は消化試合になってしまった。あちらを立てればこちらが立たずだが、いちラブライブファンである私に言わせてもらえば、気持ちとして全く正しい場所に収めてくれる展開だと思う。つまり『正しかった』と判断する。二期において『みんなで叶える夢』は、ラブライブ優勝であると定義されている。が、個人的な気持ちとしては、正直負けたっていいのだ。ラブライブに出場出来なくとも、アライズに勝てなくとも。穂乃果たちが穂乃果らしくμ'sとして進んでいってくれるのならば、それだけでいい。ラブライブの醍醐味は、誰かを打倒することじゃないのだから。
勝って喜んでくれるならそれはそれでこのうえない。けれど、負けて悔しがってくれるのも、それはそれで構わないのだ。彼女たちが彼女たちでありさえすれば、勝敗に関係なく応援をする。音ノ木坂の生徒たちだって、にこの妹たちだって、そして絵馬を吊るした人々だって、きっとそうだ。
勝ち負けではない。だから、勝ち負けを競うラブライブ本戦を描いて欲しいとは望んでいない。それが率直な気持ちとなる。故に構造的な欠陥を抱えているにせよ、視聴者の気持ちに添っているのならばそれはひとつの最適解なのではないか、と、思う。

穂乃果は最後の準備のため生徒会室へ。部室で油を売っていたためどうやら遅れたらしい。先んじて来訪していた海未に詰め寄られる。まあまあとなだめることり。一期でのことり留学を経て、三人は三様に少しずつ変わった。穂乃果は勿論のこと、海未は恥ずかしがり屋は据え置きだが、少し穂乃果らしくなった。(時折頭のネジが飛んじゃうというかつての設定に戻ったとも言えるのだが……)。そしてことりは芯が強くなったように見える。けれど、それを踏まえても三人が三角であることは変わらない。各辺の長さもだいたい同じくらいだ。
穂乃果の変化は二期のテーマに直結するものであるから十二分に描かれていたが、実はことりと海未は二期であまり掘り下げられていない。小さな変化はそれぞれに見て取れるものの、それは少し残念なことである。一年生達。そして三年生たちも、ぎりぎりで人間関係が少し成長した。ならば二年生も関係性に成長の兆しが見えて欲しかったというのが正直な気持ちだ。

さて、穂乃果は自信作らしい送辞の内容を海未とことりに見せると、二人は穂乃果らしいと笑う。体育館では、ヒデコフミコミカの三人や、他にも大勢の生徒たちが卒業式の準備をしている。神モブたちは、なかなか照明が上手くいかないと試行錯誤している。照明に定評のある神モブの三人らしくて、きっと誰もがにやりとする。完全にこれまで裏方に徹してくれた彼女達の、妙に人間らしいワンシーンである。ちなみに送辞の件と照明の件。これはちょっとした伏線となる。
探し人がいたのか穂乃果が中庭へ出ると、髪型を変えた希がいる。絵里を穂乃果は探していたらしい。ただそれだけのシーンなのだが、ここで穂乃果が足踏みを止めないことなど、実に穂乃果らしい。ラブライブ優勝という『みんなの夢』を叶え、一期冒頭の穂乃果に戻っているのかも知れない。けれど得た経験、出会った人、成し遂げたことは無くならない。たった一年間の間に起きた山ほどの出来事。一期一話と似ている。けれど全く違う穂乃果なのだというのが、この一期らしい穂乃果を見ると逆に実感してしまう。
再び穂乃果は生徒会室へ。あっちへ行ったりこっちへ戻ったり。それもまた、一期の穂乃果らしくあるが、中身は少し違うのだろう。生徒会室で絵里と会う。新旧生徒会長の、ある意味で『最後の引き継ぎ』だ。最初の引き継ぎは描かれていないけどね……。きっと、海未やことりにきちんと説明していたことだろう。
穂乃果が絵里から受け継いだもの。そして絵里が穂乃果から教わったもの。それって何だろう。廃校を阻止できなかった生徒会長である絵里は、「あの頃からみんなに助けられてばっかりだった」と言う。絵里を助けたのは穂乃果だ。感謝もあるし、出会いからのことを思い返せばきっと負い目もあるだろう。初めは穂乃果たちを否定していたのだから。穂乃果はけれど、「絵里ちゃんの想いのつまったこの場所だから頑張れた」と答える。絵里から引き継いだ立場だったから。推薦してもらえたから。前任がつまり、絵里だったから頑張れた。そういう意味だろう。
これは推察となる。しかもはっきりした論拠はない確信に足らない推察だ。けれど、前任生徒会長と現役の生徒会長。この二人の間に他人の目には映らない、入り込み難い、おかしがたい関係性があったっていい。彼女たちにしか分からないこと。ただ絵里と穂乃果のシーンと捉えてもいいし、推察(邪推レベルであるがw)するなら幾つもピースは揃っている。絵里と希、凛と花陽のような。ちょっと特別な関係。そんなものを感じ取れた。絵里と希のその後の会話。「もう立派な生徒会長やね」と。それはみんながもう、充分に知っている。

そうして、卒業式。理事長の挨拶から幕を開ける。ここ、理事長にのみスポットライトがあたっているが、そんな演出は普通卒業式でしないw けれどラブライブならそれでもいい。ひとつひとつの演出がより映える。ちょっとやり過ぎぐらいに演出を過大にするのがラブライブ。九話の雪中行軍はやり過ぎだが、それぐらいに思い切ってやってもらった方が見ていて楽しいし、伝わってくる。
次に、生徒会長穂乃果の送辞となる。穂乃果の就任挨拶から始まり、九話の生徒説明会での挨拶。そして三度、穂乃果の最後の挨拶となる。一度目は勢いに任せ発進し、そして失敗した。二度目は恐らく、挨拶をちゃんと出来た。(全て描かれてはいないが、失敗したとも言っていない。つまりきちんと出来たのだろう)そして三度目となるこの送辞。
比較的落ち着いた滑り出しから、あれ?穂乃果らしくないぞと思わせつつ、「実は私、こういう挨拶が苦手だったんだなって気付いたんです」と素直過ぎる告白。ここで絵里とにこが、本気で困った顔をしていたのが個人的に可笑しかった。けど、穂乃果はその先もきちんと用意していた。スクールアイドルを通して歌うことが大好きだと気付いたと。だから、卒業する先輩がたを送るために歌います、と。
実は穂乃果が歌うことが大好きだと言うに足る根拠は作中で描かれてない。ずっとアイドル活動していたのだから、という自然な納得はできる。声優さんの気持ちに合わせたと言えなくもない。でも、それでもいい。ここまで前へ前へとスクールアイドルとして進んできたことそのものが、この場面の説得力となる。
卒業式の私物化だとか、式典ではなくこれでは生徒会主催の卒業生を送る会だとか、突っ込みどころは山のようにあるだろう。けれどこれだって「ここまで来た」からこそ見る人を納得させられるのだと思う。
穂乃果が歌い出したのは、μ'sがまだ始まる前の曲。愛してるばんざーい!だ。海未とことりに知らせていたこと。恐らく他のμ'sメンバーにも。そしてきっと、ライブでも演っていたのだろう。穂乃果からステージ上でピアノを奏でる真姫。そしてことりと海未から、花陽と凛へ。やがて生徒全員での合唱となり、卒業式の盛り上がりは最高潮を迎える──が、そういうのはそもそも卒業式じゃない。もっと式典的で厳かなものであるが、「卒業を祝い、送り出したい」という気持ちをこうして体現できるのは素晴らしいことではないか。ただの卒業証書授与式じゃない。卒業生たちも涙と共に皆と歌い、Aパートは幕を閉じる。

場面切り替わりBパート。部室となる。このすっぱりとした切り替えもラブライブの特徴でありいい所。特に最終回、明るく元気よく、卒業式ではしんみりと、ラブライブらしい緩急が冴えている。
さて部室では、にこが私物である数々のアイドルグッズを整理していた。その量に驚いている一年生たち。途端寂しくなってしまう部室の棚であるが、次の部長が資料として私物を持ってくればいいと言う。そう、花陽、あなたがねと。
次のシーンでは、何故か黒板に派手な文字や装飾が描かれており、その前にはこれまた何故か王冠とマントを羽織った花陽が、しっかりそれらを着込みつつも無理無理無理ーと嘆いている。手には伝説のアイドル伝説。前部長からの引き継ぎの品だろうか。穂乃果と絵里との引き継ぎに比べ、こちらはぐっとコミカルな雰囲気で実に彼女達らしい。花陽にとっても視聴者にとっても唐突がいいところであるが、けれど「確かに花陽しかいねーな」と頷けてしまう。アイドル研究部なのだから、アイドルが大好きでなくてはそもそも務まらない。突き詰めればそうでなくともいいのかも知れないが、二年生だと生徒会との兼務となる。ならば一年生。だとすると花陽となる。凛がリーダーで真姫が副部長という「収まりの良さ」も一役を買う。一年生たちの場合、三人が三様にバランスが良いというべきか、誰かが特別に存在感が抜きん出ているわけではない。みんな同じぐらい。二期五話を経て、凛も充分にリーダー役をこなせるようにもなった。実にいい正三角形的バランスだ。真姫も真姫で「べ、べつにいいけど!」ともはや素直なんだか捻くれてるんだか可笑しな態度。
やがて九人が揃い、中庭でのコミカルなやり取りをはさみ、芝生の上に扇型に寝転ぶメンバー達。スクフェス初期のタイトル画面や一期OP?ED?でもお目見えする。昔から見る絵だ。きちんとこういうものを作中に組み込んできてくれる。それに意味は無いのだが、無いと寂しいし、折角なら入れてくれよとなる。そのへん心得たプロの仕事だ。

一同は屋上へ。もうあとは学校を去るだけ。名残を惜しむように、学校を巡っていき、最後に辿り着いた場所。一番慣れ親しんだ場所だ。屋上といえばμ's。穂乃果は水に濡らしたモップで『μ's』という文字を書く。二期EDでお馴染みだ。直ぐ消えちゃうねと淋しげな声に、それでいいんだよ、それでと穂乃果は答える。そして文字に向けて深々と礼をする一同。青春、スポ根。そんな言葉をやはり彷彿とさせる。
一人また一人と思いの丈を尽くしたように屋上から出て行く。最後に残る穂乃果も屋上を出ようとするがその時、かつての思い出。屋上でのメンバー達との練習の光景が穂乃果の中に浮かぶ。まるでつい昨日のように思い出せること。それらを夢中で駆け抜けてきたこと。
『みんなで叶える夢』という二期のキーワードは、二期のテーマでありそのまま二期の穂乃果の目的、目標となる。一話の神田明神で皆に励まされ、そして皆の夢を知る。そのために『みんなの夢を叶える』という新たな『やりたいこと』を胸に再起した穂乃果。二話ではまだ寝てばかりいたが、三話でアライズとの接触により再び、完全に火がつく。四話でメンバーの家族の夢を、そして五話でメンバー個人の夢にも触れ、『みんな』という仲間を正しく受け止められた。八話で本当に自分はμ'sという『みんな』が大好きだと自覚し、九話で明確に自分たちメンバー以外の『みんな』に助けられ、自分たちだけじゃない。みんながいる。そんな気持ちと共にステージに大好きなμ'sを最大限にぶつける。10話でツバサに問われ、そして自分たちの夢は、もっと大勢の『みんな』の夢であることを知り、ラブライブ出場、そして優勝が、『みんなで叶える物語』として穂乃果の中で正確に一致する。あとはもう、突っ走るだけ。三年生の卒業でμ'sを終わらすと決意し、あとはラブライブに向けラストラン。
そうして光のように駆け抜けた今。ラブライブで優勝し、もう思い残すことは何も無い。目指した夢も叶えることが出来た。もう他には何も要らない。全部やり切った。「やり遂げたよ、最後まで」と穂乃果。
そうして劇伴曲、Oh,Love&Peaceが流れる。卒業をモチーフにした曲であり、ススメトゥモロウは特別として、既存のμ'sの曲が劇伴として使われるのは初めてだ。割とよくある手法ではあるのだが、ミュージカル風や脚本に沿ったライブ等、ラブライブの得意技が多くあったこともあり、この劇伴という古典的な手法が逆にとてもよく映える。誰も予想しなかっただろう。けれど流れてしまえばすんなりと受け入れられる。すでに皆が大好きな曲なのだから。

メンバー達は学校を出、音ノ木坂の敷地と外を隔てる入口へと辿り着く。後はもう、学校を出るだけ。二期で特にこの場面のシーンは多く描かれた。けれど今日も明日も続いていく場面ではない。もう今日で最後の帰路へつく場面となる。ああ、終わっちゃうんだ。でも、μ'sは全てをやり遂げた。そうして終わらすことを彼女達自身が決断した。ならばそれを後は最後まで見届ける。『見届け遂げるだけ』そんな苦しいけど前向きな気持ちで視聴者も、そして私も食い入るように眺めていた。
その時、携帯電話の着信を知らせる間の抜けた音が響く。おや?と誰もが思う。そしてそれが花陽の携帯が出処というのは程なく判明する。視聴者は恐らく「おいおいおいおいおいおいちょっと待てーーーー!」とおよそあらゆる全てのμ'sへの、そしてラブライブへの切ない想いが吹き飛んだことだとろう。
「ここはお前のケータイが鳴っていい場面じゃねぇぇぇぇぇぇ!!花陽!お前のケータイが鳴ったら、終わんねーじゃねーかよぉぉぉぉーーーっ!!!(歓喜)」と。
花陽の携帯が鳴る時。それはスクールアイドル業界にかつてないビッグニュースが舞い降りた時であり、何を捨て置いてもその真偽をチェックしなければならない時なのだから。一期でもそうだったし、二期で特にそう。花陽のキャラクターが、μ'sに彼女が慣れたお陰か(所為か)で、非常に明るくなった。普段押しが弱いのは変わらずだが、特殊な事情(アイドル関係)でのみ誰よりも押しが強くなる。その時間が格段に増えた。それって全て今この時のためだったんじゃないかなと。花陽が大変と言ったらとにかく大変なんだ。卒業式も終わったし、気持ちにケリもつけた。でも寂しくないはずがない。心残りなんて、どれだけなくしても無くならない。自分たちの青春を捧げたスクールアイドル活動。そこで起きた一大事なら、何を置いても今度はそこに向けて突っ走っていかなきゃ!と。

勿論それは『次の展開』という劇場版に向けての制作側の都合が多分に含むシーンである。そして、まだ終わって欲しくないという視聴者の素直な気持ちでもある。けれど、曲りなりに脚本に絡めてくれているし、この十三話。最終回なのにとにかく楽しかった。それだけではなく、卒業式できっちりとラブライブらしい卒業式で感動させてくれた。それぞれの引き継ぎで感じ入らせてくれ、お馴染み神モブも彼女達らしい仕事をしてくれた。ススメトゥモロウで始まり、そしてまだまだパレードの途中、むしろパレードの本番はこれからだと言わんばかりの最後の新曲、happy maker!は、そんな「とにかく楽しい」という気持ちを後押ししてくれる最高に幸せなハッピーな曲だ。信号が常に青で桜が満開な世界。一期一話のススメトゥモロウが披露されたミュージカルワールド。デコレーションされた学校を練り歩いていき、生徒たちに手を振りながら、これまでのライブ場所を場面を次々に切り替えていく。そうして最後、再び音ノ木坂学院の敷地前(横断歩道がある現実のではない。満開の桜がずっと続き、信号もずっと青の一直線の道)で穂乃果が、「叶え、みんなの夢!」と画面のこちらに向け叫び、十三話は、そして最終回は。そして一期からの二期である一連のラブライブはひとまず幕を下ろす。
突っ込みどころが無いでもない。最後は楽屋落ちと言えなくもないオチで、それはないだろうと言う人もいるかも知れないが、この十三話、とにかく楽しかった。アニメの最終回にありがちな視聴後の寂しさは微塵もない。むしろ気持ちを高ぶらせてくれる。そして、劇場版へとはっきりとつなげてくれる。ラブライブ!のプロである制作スタッフが、本当にラブライブを愛しているファンのため、そしてファンの気持ちを考えて用意してくれた「ラブライブらしい」最終回だったと思う。賛否両論あるのは百も承知であるが私は敢えて「素晴らしかった。これ以上はない」と太鼓判を押したいと思う。


<おわりに 〜総評と今後への期待〜>
二期について書くべきこと、書きたいことはこれまでに書き尽くした。今更ここで書くべきことは既に残っていない。だからこそ最後に、最も大事で最もシンプルなことを書こうと思う。ラブライブの二期は、はっきりと言えば全ての部分が面白かったとは言えないし、全てが必要なシーンであったともどうしても思えない。一期を受けてのテーマ性や、それに沿う形での主人公の成長。一期では描けなかったキャラクターの掘り下げ等、微に入り細を穿つ部分をきちんと描いてくれたのは嬉しかったことだし、期待に答えられた場所だと思う。
しかし、『みんなで叶える物語』というテーマ性を完全に消化できたかと言うと、恐らく7、8割にせいぜい留まるのではないかと思う。『みんな』というのは視聴者も含む『みんな』なのであるが、その夢がラブライブ優勝であると特に何事もなく定義されている。途中の感想でも書いたが、ようはμ'sがμ'sらしくありさえすれば視聴者は応援をするのだ。仮にラブライブを目指さなくとも。より前を、より上を、困難を乗り越えていくμ'sでありさえすれば、それだけで応援をできる。具体例としてラブライブ出場、優勝を挙げるのは確かに間違ってはいないが、完全に視聴者に沿う回答ではないと思う。それは恐らく、作中でラブライブ本戦が消化試合として描かれたことでも制作側は分かっていたことではないかと思うのだが……。
一期では、仲間を集めていくことが廃校阻止の活動そのものであったし、仲間が揃っていく過程で丁寧に描き、そして少しずつ揃って行ったメンバーが最後に大きなトラブルを超え一丸となることに、視聴者の共感が得られたのだと思う。主人公たちの目的と視聴者の気持ちの一致である。
これが二期でやや乖離してしまっている。むしろ一期よりもさらなる一致を果たさねばならないのに、一期よりやや乖離しているのだ。
それは、μ'sへ対する個々人の思い入れだけではない。『みんなで叶える物語』に対する乗り越えるべき障壁が明確に存在しなかったことが大きいと思う。勿論正しいテーマであるし、一期を踏まえた二期としての正しい展開ではあったと思う。けれど、ただ用意されただけの目的をそのまま目指されても困る。それに対する困難を乗り越えてこそ、視聴者の本当の共感が得られるのではないかと。ラブライブというコンテンツをこれまで応援してきたことが、イコールみんなで叶える物語に繋がるのは正しいが、「繋がってるからつながってる」とそのまま表されても、視聴者はその物語に本気で取り組めないのである。乗り越えるべき困難、打倒すべき障壁を越えようと努力する様を応援することで、結果的にキャラクター達の目的に共感することができるし、いわゆる『スポ根』が大きな魅力であるラブライブの特徴にそれは合致するのだ。それが無かった故、テーマという核心に迫る10話11話でのパワーダウンに繋がってしまっている。テーマに沿った展開であるが、そこに一期で用意されていたμ's空中分解のような困難が存在しないのだ。それを乗り越えて、そこからラブライブ優勝を目指していく。そうであって欲しかったし、そうあるべきだと思う。一期ほどぎゅうぎゅう詰めの話ではなかったはずだから、幾らでも出来たはずなのだ。それが最も惜しい部分であり、最大の弱点だったのではないかと思う。また、全てではなく部分部分であるが、個々の小さな障壁である前半中盤のエピソードにも詰めの甘さは所々に散見する。なまじ一期が素晴らしかった故、厳しい目で見てしまうのは否めない。ただそれは、とてもとても残念だったところだ。

文句からはいったが、一期より素晴らしく、二期にしかないものも多く有る。最も大きなのは穂乃果の成長の軌跡を堅実に描いたこと。八話の希回から、μ'sという存在が、一期で一枚岩となり二期での様々なエピソードにより絆が深まった。それだけに留めず、「メンバーにとって真に大事なもの」であると能動的に描いてくれたことだ。また、一期ではぽんと出てきただけだった「ぼららら」であるが、二期で登場したスノハレは、スノハレでなければならない必然性をきちんと描いてくれた。つまりスノハレに物語性を与えてくれたのだ。ビビ、リリホワ、そしてプランタンというユニット系の片鱗を描いてくれたこともファンにとっては嬉しい誤算だろう。恐らく最も一期で不遇の扱いであった凛の、その救済というエピソードを、一期のどのエピソードにも勝るほど丁寧に、面白く描いてくれたこともある。
ただ、それらはあくまで部分部分。二期の大きな根幹部が弱かったことのフォローにまでは至らない。
点数で表すのも不毛であるという自覚はあるが、10点満点でつけるならば一期は10点を自信を持ってつけられるが、二期は6点から7点の間を出るか出ないか、だと率直に思う。
もちろんリアルタイムで視聴していっているさなか、大変に楽しませてもらった。こうして長々とテーマ性というものを考慮しつつ再考している間にも新しい発見が次々に見つかり、リアルタイムでの視聴時の考え方から大きく変化した部分も幾つもある。よりテーマ性という部分に深く大きいもの(一期のものもシンプルでわかりやすいのだが)を投じてくれたことは、作品性を深めることに繋がっている。それは一度見ただけでは伝わらないが、二度三度と見、そして理解を深めることでさらなる発見、新しい解釈を見つけることへの足掛かりともなる。
パワーのある一期。そして深さのある二期。どちらが面白いかと言えばやはり一期だ。けれど一期を受けての二期であるし、二期があるからこそ一期がより輝く。共に合わせて楽しむものだ。一期と同じものはやらない。更に前へ、更に高く、そして更に深くラブライブを掘り下げた結果、至らない部分も見受けられたが、それは『今後』で取り返してくれればいい。


そして最後に、今後──劇場版への期待を書き綴り、この長々とした感想を終わりたいと思う。
一期、二期を通してハッキリとは描かれなかったもの。それは海未のやりたいことであり、それに伴うドラマである。一期でμ'sの屋台骨をささえ、二期ではその厳しさを据え置きながらコメディ役も演じてくれた重要なキャラクターのことがまだ描かれていない。穂乃果やことりとの人間関係とその成長を含め、劇場版に最も望むことだ。
そしてもうひとつ。おそらくはまだ発展途上である『みんなで叶える物語』である。予定調和のようにして二期ではひとまずの決着を付けられたことだが、ラブライブ優勝を果たしたμ'sを中心とした『みんなの夢』とは一体どのようなものなのか。(自分に問えば回答は得られるのであるが)それを描き切って欲しい。
やり残したことは、恐らくそれほど無い。ラブライブという物語のフィナーレに向けてラストスパート。私を含め、熱心なファンはきっと全力で応援をする。だから穂乃果にも。μ'sにも。そしてラブライブという物語自身にも全力で駆け抜けてもらいたいと切に願うことを、終わりの言葉に替えさせて頂きたいと思う。