ラブライブ二期の感想文 第1話〜第7話

<まえがき>
正真正銘、アニメをリアルタイムで追い掛けたのはラブライブ!二期が初めてだった。それだけ一期が面白かったし、「けど二期はどうするんだろう。何を書くんだろう」という期待と不安が入り交じる気持ちも同時にあった。
理由。それはラブライブ!が誰かを打倒する話ではないから。
ラブライブ!』というタイトルではあるけど、これはラブライブという大会を是が非でも何が何でも目指す話ではない。色々な事情を抱えた女の子たちが、それぞれ抱えた問題を、仲間たちの力添えで乗り越える話だったから。(一期の段階では)
一期では、恐らく誰も予想しなかった主人公の穂乃果暴走というのを最終盤のエピソードとして持ってきたくらいにそれが徹底していた。自分のやりたいことに正直でまっすぐで。皆をぐいぐい引っ張った穂乃果の、穂乃果自身が気付いていなかった闇に目を向けてまで、個々人の問題を皆で乗り越える話だった。
結果、問題を仲間たちの協力により乗り越え、μ'sというチームが結束し、完成する。
このラブライブという作品において、どこまで行っても、『個々人の内側の問題とその解決(悩み、迷い、トラウマの払拭)』>『外側の敵の打倒、外側の目的を目指す(ライバル打倒や大会を目指す)』という重要度における差がある。
そして、内側の問題の解決が、ラブライブ!最大の醍醐味でもあった。
それがラブライブの一期だったのだけど、ところが一期で描くべきことは既に完了している。数名スポットライトがあまり当たらなかった子はいたから、その子たちのことを書くんだろうとは予想できる。しかしそれだけでは二期と銘打ってまでやるほどではない。OVAで充分だ。
何ゆえに二期なのか。どんな方向性を目指すのか。一期を踏襲するのか。それとも全く新しい路線へと舵を切り直すのか。メンバーに変化はあるのか? 代替わりは? そもそもどのポイントからスタートを切る? 今度こそラブライブ出場か? しかしライブで優劣ってどうやってつけるんだ? 
山ほどの抱えるほどの疑問を持ちながら、二期の視聴を始め、そして完遂した。
この感想を書いてる時点で、おおよそ最終回から一ヶ月。その一ヶ月、様々なことを可能な限り多方面から考えた。その上で、ラブライブ!二期とは何か? という結論まで自分なりに辿りつけたので、記録として残す。
そんなつもりは毛頭なかったが、感想のみを記すに止めようとしていたはずが、何故か事細かにあらすじまで書いていた。何故ならシーンを書けなければ感想が書けない。そして、シーンのみ書いたところで前後の脈絡が掴めない。結果冒頭から結末まで全て書くことになった。
故に分量は膨大であるし、既に二期視聴を終えているライバー諸兄諸姉にとっては、恐らくその目と心に焼き付けたはずの素敵な物語を、稚拙な文章で再構成したものを晒すことになるのだが、ご容赦願いたい。



<第一話:もう一度ラブライブ!
まさかの穂乃果生徒会長への就任から幕を開ける二期。一期で音ノ木坂学院の廃校を阻止したμ'sの発起人でありリーダーであった穂乃果。持ち前のリーダーシップを前任の絵里から買われ、彼女の推薦を受け、生徒会長となった。
講堂での就任の挨拶の後、ラブライブ得意のミュージカルパート。曲は何と、お馴染み前回のラブライブ!でん!という曲のボーカルバージョンだ。ラブライブは出し惜しみしない。最初から全力。それがいい所。
え、これ夢オチじゃね?と思わせ夢ではない。結果的に夢ではないのは一期一話と同じだが、ラブライブ!のお約束である。それはまあ、兎も角として。
廃校阻止のためという大目的はあったのだけど、一期ではそれが特別に重要な意味があったわけではない。仲間を集め、ひたむきに活動した結果、学校への注目度が上がり結果的に廃校を阻止した。作中で達成された重要な『設定』となる。
けれどそこは一期の醍醐味、見所というわけではない。廃校阻止のために仲間を集め、アイドル活動を進めていく。そこに面白みがあったし、それが物語だった。しかしこの二期。一期で達成した廃校阻止を受け穂乃果が生徒会長に就任したことが、後々大きな意味を持つ。。
一期で「やりたいことをやる!」という気持ちを誰よりも強く持ちμ'sを導いた穂乃果であるが、それにより終盤で大きな失敗を侵す。自分のやりたいことばかり見てしまい、周りを見る目を失っていた事が原因だ。親友を傷つけ、結果μ'sを解散寸前にまで追い込んだ。

そんな穂乃果は、二期一話からこれまでと少し違う趣を見せ始める。
第二回ラブライブが開催されると聞き勢いづく仲間たち。ところが穂乃果は参加しなくてもいいんじゃないか、皆で楽しく、協力しあって活動していければ、それだけでいいんじゃないかと話す。仲間たちは大いに驚く。全く穂乃果らしくない!と。
いつどんな時も話が早いのがラブライブのいい所。仲間たちは穂乃果を鏡の前に連れて行き、あなたの本心はどう言ってますか?と問いかける。余計な説得など不要と言わんばかりに。しかし穂乃果は相変わらず。
ここでにこが穂乃果をたきつけるため、練習場所の神田明神男坂ダッシュの勝負を挑む。細かいことはいい。私が勝ったら私の言うことを聞けと。アイドルが好きなにこは、大好きなアイドルのため(やりたいこと)のために一直線の子。穂乃果は、やりたいこと(目的は廃校阻止のため)のためにやりたいことを一直線にやる子。性質が真逆。今の穂乃果にとってラブライブ出場は、どうしてもやりたいことではない。何故なら穂乃果には失敗の負い目がある。もう失敗したくないと思うのは自然なことで、保守的になるのも無理はない。
フライングして先を走るにこの背を見るに、穂乃果はゆうべ妹の雪穂に言われたことを思い出す。第二回ラブライブがあるのは来年の冬明けた頃。つまりもう三年生たちは卒業の直前なのだ。そう。もう残された時間はあまり無いのだ。

結果としてにこの転倒により勝負はうやむやに。あいにく雨も降り出し、一行は神田明神の門のところで雨宿り。ここで皆で話し、やはり穂乃果が乗り気でないのはかつて──時間軸的にはほんのついこの間のことだろうが、失敗のことが響いている。それを皆は汲みとる。
だから仲間たちは力強く穂乃果に伝える。もうみんなの気持ちはひとつだと。ラブライブを目指していく。残された時間、精一杯に駆け抜けようと。それが私たちの『夢』であると。
皆のラブライブ出場への思いを聞き、『皆のやりたいこと』を汲みとる。ここで、一期で穂乃果が(と海未とことりが)歌っていたススメ→トゥモロウを仲間たちが歌うのが象徴的。自分のやりたいことだけではなく、皆のやりたいことのため、穂乃果が再び立ち上がり、一話は幕を閉じる。
仲間たちのやりたいこと=ラブライブ出場という『夢』を汲み取ったこと。ごくごく自然でラブライブらしい流れではあったのだが、これもまた後々大きな意味を持つこととなる。
これまでのラブライブ。仲間たちの紹介。穂乃果の迷いと、仲間たちの力添えによる解決。これまでのラブライブをぎゅっと詰め込んだような第一話。理想的なスタートだった。

けれど気になったのは、「やりたいことをやる!」というのが最大の持ち味で魅力でもあった穂乃果が、周囲のことを気にし始めたこと。自分だけじゃない、仲間もいる。それは勿論正しいヒューマニズムなわけだけど、ある意味で大いなる矛盾を孕んだ存在になったとも言える。やりたいことをやるのに周りを気にする。それではしかし、やりたいことを追い求められないではないか、と。
廃校阻止。穂乃果の生徒会長就任。仲間たちの夢、やりたいこと。第二回ラブライブ。そしてそして高坂穂乃果という人間に訪れた変化。重ね重ね恐縮であるが、これらは後々に影響を与えていき、まさかの形で結実することになる。


<二話:優勝を目指して>
第二回ラブライブ予備予選に向け、新曲を作るため合宿を敢行するアイドル研究部。合宿先は勿論、真姫の家の別荘となる。以前は海だったため今度は山へ。皆で電車で向かうこととなるが、穂乃果だけ眠りこけて乗り過ごすというアクシデント。誰か気付けって話ではあるが、穂乃果はこの二話で特に存在感がない。合宿先でも主に寝てるだけ。子供の遠足前日現象でねれなかったのかも知れないが、恐らくそれだけではない。
皆のやりたいことのため再び奮起した穂乃果であるが、この時はまだ火が着いてない。あくまでも皆で楽しく協力してμ'sをやりつつ、第二回ラブライブを目指していく。そんな風に見える。のんびり呑気に寝てるのはその表れ、と思われる。
だからか相対的にこの二話では、穂乃果以外のメンバー達の活躍が特に目立つ。
衣装係のことり。作詞担当の海未。そして作曲担当の真姫。いずれも、「ラブライブ出場のため」というこれまでない目的に慣れておらず、揃ってスランプに陥ってしまう。
ここで彼女達は、ことり海未真姫を別々とした三人ずつ三つのグループに別れ、それぞれに活動を開始する。printemps、BiBi、そしてlily whiteのユニットそのままのメンバー配置となる。
蛇足であるが、衣装と作詞と作曲が上手にばらけたものだなと思う。このユニットメンバーが決まったのはアニメ化よりずっと前でありかつ、構成パターンは数通りから決まっていたものの、読者投票で決定したことなのだから。偶然上手にハマったのか?
さて。ことり穂乃果花陽(プランタン)グループ。穂乃果は相変わらず寝てばかり。花陽はどこからか花を摘んでくる。白い花。どこにでも咲いてそうな花だ。それをヒントにことりは、衣装デザインの方向を漠然と掴んだようだ。
海未希凛(リリホワ)の三人は、何故か山登りに励む。完全に体育会系山ガールになってる海未と、もう過酷な山登りが嫌で嫌でしょうがない凛が対称的で面白いコメディシーン。「山頂アタックです!」と目を輝かせて鼓舞する海未は、二期で特にこういった役回りが多い。結局、希のやんわりとした一言で、海未は山頂を諦め引き返す。ここで海未が何を得たのかはっきりは分からないけど、無理せず自然に、出来るところまででいい、そんな風に海未は考えたかも知れない。歌詞作りに大事なのは、自然体。素直な気持ちで書けば、自然とその人とその人の周囲の歌詞になる。それは取りも零さずμ'sの曲(高校時代の)の世界観だ。
そして夜。ビビの三人。にこが真姫に言う。常にみんなのためにと。ラブライブのためとかじゃなくて、自分も含めたみんなのため。ラブライブだけでなく、卒業してしまう三年生たちへ、という気持ちもあった真姫であるが、ようやく無理のない正しい道に戻る。絵里が夜の帳を怖がってテントに引っ込んでしまったのは、ちと見せ場がなく可哀想ではあった。でも、この合宿を提案したのは絵里であるし、バランスとして正しいのかも知れない。
場面はプランタンの温泉シーンへと移る。ここで穂乃果は、ずっと寝てた割に、そうだよ誰かが悩めば誰かが助ける!と唐突に天啓を得たように叫ぶ。寝てばかりの穂乃果には知るよしもないはずであるが、何となく察したのだろうか。
それぞれにそれぞれの創作へのヒントを得、ことり海未真姫の三人は、夜通しでそれぞれの仕事に取り掛かり、完成させる。そして東京へ帰還。ラブライブ予備予選へ向け急ピッチで練習を進めていくシーンを描き、二話を終える。
この二話、一期でぐいぐいと皆を引っ張った穂乃果の存在が盛大にオミットされている。代わりに、仲間たちのそれぞれが悩んでいる仲間を励ましたりヒントを図らずも与えたりしている。実はここではまだ気付かなかったのだけど、一期であれほどまでに、悩み一歩を踏み出せないでいる誰かが、「踏み出せるように」と影に影に立ちまわった希が、ここで海未をやんわり諭す、というのみに留めている。
ぐいぐい引っ張る穂乃果。見えないところで立ち回る希。それが一期だったのだけど、二期はそうではない。全員が全員で誰かをどこかで助けている。それこそ穂乃果が温泉で叫んだように。つまりこの二話は、一期を経て一つになったμ's。皆平等に相互補助できるようになった。そういうエピソードでもある。一期終盤で落ち込んだ穂乃果を皆が救済した、というマイナス方向の悩みの解消ではなく、プラスへの方向(ラブライブに向けての曲作り)の前向きな一歩として。衣装と歌詞、そして曲を揃える。それは一期の一話、二話でも取り組んだこと。あの時と似ているが少し違う。それはまさしく、困っている時は助けてくれる仲間がいる、ということである。



<三話:ユメノトビラ
近代的なオフィスビルのような建物内から三話はスタートする。何やらお洒落な飲み物を傍らにノートパソコンの画面を見、不敵に「はじまる」と笑むのは、スクールアイドルの絶対王者、A-RISEのセンター綺羅ツバサ。明らかにμ'sと対称的なのは、その風格。
一期ではあくまで、絶対王者というのがいるよ?という程度で、いわゆる『設定』以上の存在ではなかった。アライズのMVを穂乃果が見かけたことが、そもそものラブライブの始まりではあったが『設定』の域を出なかったアライズ。果たしてどのように絡んでくるのか、と嫌がおうにも期待せずにいられない瞬間となる。
そしてAパート。いつものように屋上での練習に励むμ's一同。ここで主にラブライブの大会の運営、勝負の付け方などが説明される。歌と踊りの優劣をつけるのは難しい。故にこういうやり方で優劣を決める、と作品内で明示するのは、作品内でのリアリティとして大事。一期と違ってどうしても勝ち負けが絡むための説明となる。
ところでここで問題点が浮上する。さてどこのステージで演ろうかな、ということである。まだまだμ'sは駆け出し、という程ではないが、順調に駆け始めたばかりである。場所で悩むというよりそもそも場所が無い。
ここで穂乃果は、自分たちらしくやればそれでいい。それが大事。だから学校、講堂でいいんじゃないかと提案し、ことりも賛成する。しかし仲間たちが、それじゃマズイ。これまで立ったことのないステージで、かつ目を引かなくてはと提案し、場所を探すことになる。やはりこの段でもまだ、穂乃果には火が着いていないのである。
既に重ね重ねとなるが穂乃果は、『やりたいことをやる』というラブライブを体現するキャラクターであり象徴であり、そして主人公である。そのため『勝ちたい』という方向には行かない子。つまり『無色のパワー』が穂乃果の持ち味。まだ、はっきりとは『やりたいこと』が見えてない状態故に止むを得ない。
ところでこのAパート序盤で、真姫たち一年生組のクラスメイトであるらしい、放送委員会の子がちょっとだけ出てくる。地味目な眼鏡の子だ。ここで生徒たちに応援をよろしくと放送を流すのだが、紆余曲折ありコメディ全開となってしまう。ちなみに笑うだけのシーンかというと、そうでもない。この後のちょっとした伏線となる。そしてこの第三話においてはまだ、あくまで『ちょっとした』伏線である。
μ'sメンバーは皆で場所探しをするが、なかなかいい場所が見つからず、また思いつかない。結局、秋葉原UTX学院の前に辿り着く。あの巨大スクリーンにはアライズの映像が流れている。そう、同地区ゆえラブライブ本戦の前にアライズと戦わねばならない。にこと花陽はアイドルオタクゆえにアライズは雲の上。他メンバーはそもそもアイドル大好きというわけではないから、そこまで猛烈に意識はしていない。超強敵、くらいの現実的な認識に留まる。
けど穂乃果だけは別。スクリーンでアライズを見たことが全ての始まりだったことは、彼女が一番良く分かっている。穂乃果も別にアイドル大好きっ子ではないのだが、アライズだけは特別。スクリーンを見る眼差しも、仲間たちとはどこか違う。そんな折──。

どこからか歌が流れてくる。熱心なラブライブ楽曲マニアでなければあまり縁のない、Private warsのサビ前のフレーズが響いてくる。誰かの足音と共に。それはスクリーンから流れる曲。そして誰しも印象的に覚えているハズのサビに入ると同時に、穂乃果の前に現れる人影。それはアライズのセンター、綺羅ツバサだった。「こんにちは、高坂さん」と何故か屈託なく笑いながら。
両隣にいることりと海未は気付かない。彼女達はそこまでアライズに思い入れはない。けれど穂乃果は別。アライズは彼女にとってとっておきの特別だ。特に同じセンター、恐らくリーダーでもある綺羅ツバサの存在は、きっと特に。
驚き、顔を赤くしうろたえる穂乃果。ツバサは慌てふためく穂乃果の手を取り駆ける。ひとさらいのように。しかもことりと海未の間から正面きって、というのに多分熱心なラブライバーは息の止まる思いだろうし、自分もそうだった。穂乃果の相手役といえば海未かことりか、他いろいろな可能性はあれど、幼馴染の三人組というのもある。いわゆる鉄板。そこからまさかの綺羅ツバサが穂乃果をかすめ取っていくというのは、いろいろな意味で衝撃的な展開。穂乃果にとっても視聴者にとっても。いわゆるカプ的な解釈と反応になるのだが、せめてこれくらいご容赦願いたい。ここ以外ではこーいう解釈しないんで、どうか……。

人混みの喧騒を縫うように穂乃果を連れいずこかへ走るツバサ。花陽がそれを目撃し驚き後を追う。にこも気付いたようで一緒に。まさかの衝撃的な展開でAパートは幕を閉じるが、一期ラストのライブを、ネットの配信らしきものでアライズは見ていた。かなり真剣に見入っている表情というのは見て取れた。あ、きっとこれはあちらからコンタクトを取ってきてライバル宣言的なアレだなという予想がつく。と、いうのはけれど、穂乃果が連れ去られてから視聴者は気付く。コンタクトを取ってくると予想させない。けど起きてしまえば脈絡があると気付く。しかし気付いた時にはもう遅い。一期三話でのがらんどうの講堂ライブ。あれは直前になると、あ、これはやばいと気づき、それ以前には分からないように描いている。
気付いた時にはもう遅い。これは一期三話と同じ手法。心の準備を視聴者にさせない。でも、直後に考えれば脈絡に気付く。一期講堂ライブでお客さんいなかったのは、知名度が全く無いという一般的な理由だけでなく、部活勧誘を同時にやってたからそっちにお客さん流れちゃったんだと気付けるように。特にこの、三話というのはラブライブ!にとって大事な場所。「何か仕掛けてくるんじゃないか」と一期を熱心に見たファンなら必ずあれこれ推察する。それら全てを恐らく躱すような驚きを用意してくれたのは流石の一言である。
そしてBパート。UTXの風景初お目見え。素晴らしい設備で、またグーグル本社みたいな遊び心もある校内風景。これは人気校になるのも納得。
なんだかんだで、学生食堂脇の談話室らしき場所にアライズ三人と、μ's九人。フルメンバーが集まり、やや緊張感のある親睦会が開かれる。アライズはかなりμ'sを研究していたらしく、メンバーそれぞれの名前と長所を述べていく。スクールアイドルの王者に死角はない。例え格下だろうと研究分析、そして自分たちにフィードバックしていくのだろう。故に王者と呼ばれる強さを常にまとう。か、どうかは分からないのだけど、なにゆえ王者なのか。人気一番だからと練習を怠ったり、研究を疎かにしたりすれば瞬く間に転落するだろう、という推察となる。しかしそれは作中で描かれないこと。『王者』の実力とはいかなるものなのか。本当に王者と呼ばれるに足りるのだろうか、と。それはこの三話、もうすぐにまざまざと見せつけられる。これ以上ないくらいにハッキリと。
ちなみに、最後のにこの所で可笑しな落ちがついたのはご愛嬌。にこは熱心なアイドルファンでアライズもずっと昔から追い掛けていた。ツバサもそれは気付いていたらしい。いつもありがとう、、嬉しいよと笑いかけるツバサ。スクールアイドルのライバルであるけど、ファンへの愛嬌も忘れないアライズ。まさに死角なし。
ごく個人的な意見となるが、アライズがいわゆる足元の見えてないお高く止まった嫌なやつらだったら嫌だな。それは勘弁して欲しいと二期開始以前から考えていた。というか、祈っていた。足元の見えてない奴の足元さらって勝つことほど詰まらないものは無いからね。

さて、ここらへんで察することが出来るのだけど、アライズはラブライブに向けて最大の壁であるが、はっきり明確な敵というわけではないらしい。敵ならば敵としてドラマを作らないとだし、けれど作品内では、穂乃果のアライズへの秘めたる思いしかないし、それははっきりとは描かれない。きっと相当なリスペクトはあるだろうと予想させるのみ。そしてラブライブという作品は外の敵を打倒する話じゃない。ならばアライズの存在はどう作用するのか?それは、まだこの段階では分からない。
談話室での会話の終わりに、UTXの屋上ステージで演ってみないかとアライズ側からμ'sに打診がある。ライブ・ステージを探していたμ'sにとっては、敵陣只中ではあるけど願ったりかなったり。特に、いつもの場所で自分たちらしくと考えていた穂乃果にとってはいろいろ思うところがあるはず。なんといっても憧れの人と肩を並べるのだから。
アライズ側がもちろんμ'sの事情をそこまで知るはずはないから、恐らく王者の余裕、見所のある奴らだと理解していても、まだ自分たちが負けるとは思ってない。それゆえの遊び心。同じ場所、同じ条件で勝負してやろうという手心となる、と思う。でも、流石にこの噛み合い方は都合が良すぎるきらいはある。いい場所を紹介して欲しい、くらいμ's側から打診させても良かったかな?
紆余曲折ありステージを見つけられたμ's。そこから時間は一気に予備予選当日に飛ぶ。
当日。やや気負い気味のμ's。けど、割と悪くないテンションを維持しているように見える。見慣れた白を基調としたものではなく、黒ベースの衣装に着替えたアライズと多少のやりとりを交わしても、まだ「自分たちもきっちりやるべきことをやった。だから大丈夫」だと。
しかし、それは先行して曲を披露したアライズのパフォーマンスに打ち砕かれる。王者とは何か。頂点とは。何ゆえアライズが王者なのか説明は作中で無いのは一期から変わらずだけど、このアライズの新曲を見ると、それだけで全てが分かる。一度聞いたら二度と忘れられない曲調に、キレのいいダンス。と日本語で説明するとそうなるのだけど、正に圧倒的なパフォーマンス。作画のレベルとしても恐ろしい領域に到達している、というのは作品外の話だが、それほどに『凄い!』という言葉しか出てこない。正に圧巻。
これに比べると申し訳ないが、μ'sのダンスは手足を動かしているだけとすら言える。王者たるアライズ、王者の強さを表現する方法って、多分いろいろある。練習を欠かさない、良いものを貪欲に取り込む。可愛らしさ、人間の強さ。そういうシーンを描く。そんなアライズのトリコになるファンを描く。そういうやり方もあるけど、それはむしろ逃げだ。というか、音楽やダンスの優劣は非常に表現が難しいからもういっそ逃げてもいいんだけど、最も大事なのはステージの上。歌と踊り。アイドルにとっての最大重要事項。それに逃げずに、ある意味愚直とまでに取り組んだサンライズに敬意を表したいし、そうして出来上がったアライズの新曲は素晴らしかったし、凄かった。そう、凄い、と思わず唸らされる完成度だった。
このアライズのパフォーマンスを見て、μ'sは一気に萎縮する。やっぱり敵わないと。けれど、穂乃果が皆を叱咤して鼓舞する。私たちだって負けてないと。それは穂乃果らしいリーダーシップであるし、はっきりと描かれてないことであるけど、憧れのアライズに認めてもらえたから、という自信も後押ししてるのかも知れない。ツバサとのコンタクトで、穂乃果の何かにようやく火がついたのかも知れない。
今後の話になっちゃうけど、一期の、ことり留学辺りのエピソードがもし無かったら、目指せアライズで穂乃果は突っ走っちゃったのかも知れない。周りを顧みずに。それが行き過ぎて失敗したかも知れない。けれど四話以降、そうはならない。それは穂乃果の成長の一歩、二話で寝てばかりだったのは変化の現れのひとつだけど、その変化が成長に昇華を始める一歩となった、と思う。ぐいぐい引っ張る穂乃果らしさはナリを潜めたけど、じゃあ他に代わるものは何かがあるのか? それはおいおい、少しずつ描かれていく。
話を戻して、今度はμ'sの番となる。穂乃果の鼓舞により持ち直したμ's。円陣を組んで気合を入れ直す。その時、ヒデコフミコミカの通称神モブ三人が、クラスメイト達を連れて応援に駆け付けて。UTXでのライブだから彼女達には手伝いが出来ない。代わりに出来る事は?と考えた結果の行動だろう。それもμ'sを後押しする。これも先の話になるけど、二期とそして恐らくその先のキーワードとなる『みんな』というのが初めてお目見えしたシーンでもある。はっきりと明言は無いが、三話前半での放送によりみんなも駆け付けてくれた、というのは恐らくあるだろう。
いや、正確には二度目の『みんな』となるだろうか。一度目、最初の『みんな』は、既に一話でその姿を表わしている。穂乃果にとって最も近い『みんな』だ。

そしてμ'sの新曲、ユメノトビラ。再確認のように。そして新たなるμ'sの一歩として示された、仲間たちのやりたいこと。『みんなの夢』。叶えるための第一歩。それがユメノトビラ。流れるような美しいメロディとシリアスな雰囲気が特徴的な曲。衣装も含め、どこかアライズに比べると素人っぽさが表されている。これまでの衣装に比べても素朴で素直なデザイン。曲調も、美しい良曲ではあるけど、アライズの新曲に比べインパクトで大幅に劣る。けれどそれは恐らく、狙った表現だと思われる。μ'sとアライズのレベルの差を、ステージの上で表してしまったのである。これには脱帽した。見せられてしまえばそれは最も正しい手法であるが、誰もそんなことはやらない。けれどラブライブはやってのけてしまう。誰も見たことがないもの。それを見せてくれる。それは正真正銘ラブライブの魅力となる。
ここで補足的に。ユメノトビラはキャッチーであるけど、聴きこむと徐々に良さが染みてくる系で、これはこれで『ただのカマセ曲』でも何でもない素晴らしい良曲である。そして重要なのは、一期でぼらららを演ったことにより登場が期待されている『あの曲』にどこか繋がりそうな曲調でもある。スタダ、これサム、ワンダーゾーン。そしてノーブラ。いずれもいい曲であるが、シリアスで美しい系の曲はスタダのみ。しかしスタダからいきなり『あの曲』にぽんと飛ぶのは、μ'sの曲の進化の系譜として違和感がある。だからここで『あの曲』へと中継するような曲を用意するのは恐らく必要なことだった。
ユメノトビラを演るμ'sを真剣な眼差しで見つめるのはツバサ。隣のあんじゅが、あれ?って思うくらいツバサは集中している。μ'sが曲を歌い終え、ちょっと放心気味のツバサであるが、やがて不敵に笑う。へえ、こいつらやっぱり本当に凄いじゃん!っていう風に。
ユメノトビラを演り切り、達成感と満足感に息を切らしながらも誇らしげなμ's。そして印象的だった三話は幕を下ろす。
ようやく火が付き、先ずは本来のらしさを取り戻す穂乃果。そして、あくまで設定上存在だったアライズのツバサと穂乃果に出来たライン。一期を踏まえた上でのこの二期の流れは、もうしばらく先に影響を及ぼしていく。


<四話:宇宙No.1アイドル>
冒頭、お馴染みアイドル研究部の部室に漂うのは何やらシリアスで緊張した空気。けれどどこか間が抜けているような、ラブライブではお馴染みの空気感。原因はネットにて発表されたラブライブ予選結果だった。アイドル研究部メンバーは花陽を筆頭に画面に釘付け待ったなし。上位四組が本予選出場可能とのこと。
一位は貫禄のアライズ。二位は何だったかな…忘れた。三位はミッドナイトキャッツ。部室内のポスターでお馴染みの二人組だ。そして四位は、ミューーーーーー、とたっぷり溜めてのタントガールズ。仮面の怪しい二人組だった。ショックを受ける一同。そして視聴者。マジかよこの後どうすんだよという所で、それは実は穂乃果の夢だったと判明。夢かよ!
一話で夢オチを匂わせたのだからもうないだろうと思わせてからの、完全に意識の外からの夢オチ。引っ掛からない人はいないだろう。いつだってラブライブは視聴者の予想を覆してくる。しかも心の隙間を縫って確実に。それはまあ、兎も角として。
現実世界に置いての結果。μ's四位でギリギリ予備予選通過。ほっと一安心である。さあ頑張ろう!というところであるが、何故かにこは練習を休む。妹の面倒を見なければという話らしいが、不審に思った仲間たちは帰宅するにこの後を追う。いかにも気付いてくださいと言わんばかりに八人でぞろぞろと。
勿論みんなでわいわいやる尾行は往々にして看破されのが常。案の定にこにバレ、巻かれてしまう。どうしよう、と途方に暮れていたところに、何やらにこによく似た小さな女の子が通りがかる。その子は穂乃果たちを知っているらしい。何とその子がにこの妹だった。にこちゃんの妹ちゃん!可愛い!と賑わう穂乃果たちだが、その子は何と穂乃果たちをμ'sのバックダンサーだと思っていた。どうもにこが妹たちに都合のいいことを吹き込んでいたらしい。自分が主役で、穂乃果たちはバックダンサーだと。怒り心頭斬り捨て御免なのは主に絵里と真姫と海未。偶然にもソルゲ組。あくまでμ's内では比較的、という程度だが気性の荒い三人である。
皆でその妹、矢澤こころの案内で矢澤家に押し掛ける。にこは皆に遅れて到着する。また逃げようとするが逃げられず、平身低頭で謝るにこ。
ここでちょっと苦言めいたものを一つ挙げたい。オフィシャルサイド(アナザー?)ストーリーノベル、スクールアイドルダイアリーで人気を博した矢澤妹が登場するのは予想できたことだけど、正直、偶然通りがかってμ'sと会う、というのは都合が良すぎるきらいがある。この時点でバックダンサーと判明しなくてはならない故の措置であろうが、新キャラと偶然。この二つと重ねてほしくはなかった。一期四話で花陽が真姫の家からの帰宅時に偶然穂むらに寄るのも大概なのだけど、花陽も穂乃果もその時点で既に登場しているキャラクターであるし、アイドル活動に興味しんしんの様子。だからその偶然も自然と捉えることは出来るのだが、矢澤こころはそうではない。その存在は視聴者に認知されていても、三話冒頭で綺羅ツバサが姿を見せたような順序は、出来れば踏んで欲しかった。
正直、SIDのままの方が出来が良いんじゃないかというのが正直なところなんだけど、にこが率直に自分の非を認めて謝ったのは見上げたもの。SIDのにこは全く違う別人格で、無茶しても謝ったり反省したりしない。中身も外見も可愛いぶりっ子で、それが全て。悪いわけでは決して無いのだが…。
さりとて、アニメのにこはそうじゃない。可愛いだけのSIDと、その可愛いさの裏に理性があり情があり、そして重い過去も背負うのがアニメの矢澤にこ。彼女に限らずキャラクターの多面性による深さがラブライブの魅力でもある。パーツ単位では実にキャラクターらしいのだが、そのパーツの対角線上に裏パーツとも言えるものを配置している。故にその中間に人間らしさが浮かび上がるのだ。にこの表とウラはその最たるものとなる。
結局、バックダンサーというのは苦し紛れについた嘘だった。かつてのアイドル研究部のメンバーたちが去っていったこと。それを妹たちには伝えられなかったゆえの嘘だった。もともと、自分以外はバックダンサーだと。
けど、自分は仲間たちの一部であり、仲間たちも自分の一部。そしてそれはμ'sである。今のにこは、もうそれを知っている。正直、いつでもにこは、自分の嘘を嘘と認め、妹達に伝えてもいい気持ちだった。それが果たされたのがこの四話だった。
一期六話のセンターは誰だのアンサー回とも言える二期四話であり、そして一期五話で希が語ったにこの過去についてとその払拭の回でもある。しかしこの嘘についての真相、この二期四話では『希の推察』という体で皆に周知されることとなる。一期の希の話しぶりは、自身で見たか或いは聞いたかして得た事実という風だった。しかし二期四話では違う。どこまで行っても推察であり、いつどのタイミングで何故嘘をついたのか分からない。一応、最も無難で妥当であろう解釈を以下に記載する。

1.一年生の頃にアイドル研究部を立ち上げる。この時妹たちには恐らく「自分たちはスーパーアイドルなんだ」と伝えていた。仲間を集めたくらいなのだから、スーパーアイドルユニットを目指したのだろう。
2.しかし他の部員が退部する。理由は一期の希が話した通り。ここでにこは、やむにやまれず妹たちに「彼女たちはバックダンサーで元々スーパーアイドルなのは自分一人」と嘘をつく。
3.同時ににこは、仲間なんて要らない。自分は自分一人でスーパーアイドルを目指すと自分自身にも嘘をつく。
4.三年生となり穂乃果たちと出会う。μ'sと合流し、にこの悲願は事実上達成される。しかし妹たちへの嘘と矛盾する。
5.結局、それについて妹たちに真実を告げられずに今に至る。μ'sメンバーは『次のバックダンサー』であると妹たちに嘘を嘘と上塗りして。そして、もう嘘はつかなくてもいいのだと自覚し『一人きりのスーパーアイドル矢澤にこ』を卒業する。

以上となるのだが、この場合少し趣が変わるのが一期六話『センターは誰だ!?』の回となる。ここでにこは影に日向に自分がリーダー、自分がセンターであると主張する。結局メンバー達には冗談以上のものとは受け止められなかったようであるし、そもそもメンバー達はリーダーやセンターについてあまり頓着していない。穂乃果がリーダーのように見えるが本当は誰なのか?という流れとなり、リーダーをちゃんと決めようと言い出したのはにこだ。この時自分も視聴者もメンバー達も、『矢澤にこの見栄っぱりな部分』の発露だと思ったはずだ。
けれど実はそうではない。妹たちに嘘を吐き通すための体裁を整えるための苦肉の策だったのではないか? 単なる深読みか、それとも隠されたにこの本心か。『μ'sがバックダンサー』という嘘をどのタイミングで妹たちに伝えたのか定かではない故、どこまで行っても真実は分からない。

だが、いずれにせよにこが嘘をついたのは『妹たちのため』だったはずだ。妹たちがいなければ、彼女は嘘をつく必要は無かったはずなのだから。結局、にこの本心や嘘をつくに至った決定的な理由は明かされない。弟である虎太郎が遊んでいたμ'sメンバーを模した土竜叩きゲーム。その穴の真ん中にいたにこのオブジェを、彼女は端に寄せる。それが一体何を意味するのかもはっきりとは分からないままだ。幾らでも推察は出来るのだけど……。
にこが嘘をついていた。これは二期四話で明かされた新しい事実。一見するとシンプルな出来事なのだが、細々と突き詰めていくと事実に辿り着くのは困難だ。何をどうしようとやや無理のある推察を重ねることになる。
また、別ににこは嘘をつく必要すらそもそも無かったのだ。正直に妹たちに話せばいい。でもそう出来ない何かがあった。妹たちの姉への全幅の信頼というのだけでそれは足りるのだが、『嘘をついた瞬間』、にこと妹たちの関係がどうだったのかが描かれない限り、『そもそもの事の起こり』を推察で埋めなければならない羽目となる。これは非常に物語として座りが悪い。また『矢澤にこのついた嘘』に対する感情移入の度合いも大きく目減りする。一人きりのスーパーアイドルを目指す、という悲壮な決意(嘘)についても、その瞬間が描かれない。
ここまで読んで頂けた方には伝わるだろうが、私は推察大好き人間だ。AとBというエピソードを繋ぐ物語を自分なりに紡ぐのが三度の飯より大好きだ。だから二次創作が好きで好きでしょうがない。けれどそれは、AとBが明確に描かれているからこそ成立させられる。ここにきて推察を否定するのはそういった個人的な理由もあるからだ。

話を戻す。ラストシーンでは、スーパーアイドル矢澤にこが最後のライブをやる、という体で、希と絵里の計らいにより屋上ソロライブが実現する。このライブを最後にスーパーアイドル矢澤にこは、スーパーアイドルユニットμ'sの一員となると。これは妹たちの姉への信頼≒妹たちという『みんな』の夢を壊さず、そして夢を繋げていくという意味だ。三度目の『みんな』のお目見えとなる。重ね重ねで恐縮だが、これは二期において重要な要素となる。故に方向性としては大正解なのだが、矢澤にこの嘘、というこの四話における大事な要素も、大事に描いて欲しかった。それぞれのエピソードにおける詰めの甘さ、というのは二期においてところどころ散見する問題である。良くも悪くも、ラブライブ二期を象徴するかのような第四話であった。



<五話:新しいわたし>
時はそろそろ秋も深まりを見せ始める頃。二年生の穂乃果ことり海未は修学旅行で一路沖縄へ。天気は快晴。現地はまだ温かいようだ。眩しい水着姿で、眩しい海へと無邪気に飛び込んでいく。ざばーん! と盛大に水しぶきが上がり、そして場面は切り替わる。水しぶきが収まった先は、音ノ木坂学院のプールだった。ショートパンツにシャツという軽装の凛が、これ以上ないくらい楽しそうにプールに飛び込んでいた。凛は純粋に楽しそうにしているが、プールサイドの真姫と花陽は、穂乃果たちに張り合う必要ないんじゃない?と、もう秋だよ? とやや呆れつつたしなめる。けれど凛はどこ吹く風。楽しいからやるんだにゃと言わんばかりに。やおらプールから上がった凛は、何気ない動作で二人の後ろに回る。そして、「いーからみんなで泳ぐにゃ!」と二人をプール、突き落とす。勿論二人も練習着的な軽装であり、濡れてもそんなに大事じゃない。あはははーっ!と笑う凛。めいっぱい楽しもう。そんな純粋な気持ちの表れ。
いつなんどきどんな時も、話が早いのがラブライブのいいところ。あ、これ修学旅行の話だ!しかも修学旅行組じゃなくて居残り組がメインになるってあれでしょ!?というのがたった一分足らずで伝わり、しかもこの五話で最も大事なこと、肝となること。五話の回答もすでにここで明示されている。それは楽しそうな凛を見ていれば十二分に伝わってくる。OP前の冒頭劇としてこれ以上ない完璧な仕上がりである。余談であるが、凛推しの私は、既にこの時点でテンションマックスだったにゃー!
そしてAパート。穂乃果たちは修学旅行。そして絵里と希は別件で練習にあまり顔を出せない。残りメンバー四人だけでの練習が続き、凛は飽きたにゃーとつまらなそう。本当は飽きたなんて言っちゃダメなんだけど、純粋で率直な凛は、いつも素直。だからある意味でいつもどおり。
さて場面は切り替わり、一年生教室、かな? 凛がリーダー!?という悲痛な凛の叫びが教室中に轟く。先程の無邪気さとの緩急が面白い。穂乃果というリーダーが不在であるが、活動は継続している。しかももうじき開かれるイベントにμ'sの参加が決まっているらしい。きちんと予定たて活動していく必要はある。が、絵里と希は二年生たち(現生徒会)のフォローとして生徒会の仕事をやるため余りμ'sに関われない。結果、絵里と希とで事前に話していたらしいこと。凛に暫定リーダーをやってもらおう、という提案が行われた場面である。絵里と希の会話までははっきり描かれないが、活発ではあるがどこか脇役に回りがちな凛。彼女にも皆と平等にμ'sの主役となってもらおうという計らいだろう。全員がセンター、というμ'sの基本理念に乗って欲しかったし、乗せたかった故と思われる。
けど凛は、自分はそういう役割に向いていないと否定的。というか全力拒否の構えだった。けれどだからこそ、なのだろう。
ここでひとつ寄り道となるが、絢瀬絵里の決断というのは一期から通してそうだが、実はあまり上手くない。いわゆる一般論で皆にああしようこうしようと働きかけることが多く、今その状況に何が必要なのか、その人物に適しているのか、というのを実は考慮しない。一期でワンダーゾーンの歌詞をことりに任せたこと。(ことりにその適性はないが、秋葉原に詳しいからと)
そして一期終盤空中分解したμ'sへ、一度立ち止まって自分を見つめなおしましょうと働きかけたこと。(止まりそうな時に止めたら本当に止まっちゃうじゃないか)。これに関しては絵里も自覚はあったらしく、後に穂乃果の部屋でそれを悔いている。
更に二期二話での合宿の発案。(新曲作成のための合宿というのは確かに手法の一つであるが、あまりに唐突だから余計に真姫海未ことりの創作班は余計に調子が出ない)
概ね結果オーライで解決するのだが、一期の廃校阻止のための方策もあまり上手くない。あの段階では絵里は相当な視野狭窄に陥っていたから止むを得ないことではあるが……。
けれど、割合うまくいく決断もある。そして今回。この凛への働きかけが上手いか悪手かは、正直かなり微妙なところ。リーダー役やまとめ役は、出来ない子には出来ない。そして凛は明らかに出来ない子だ。これまであまり目立ってなかった子に今度は任せる、というのはまたしても一般論。だが全員センターという理念のμ'sには沿っている。これは推察だが、絵里一期で無理な柔軟を凛に強いていた。見方によっては苛めているとも捉えられなくもない(その分凛も、それより以前にミトメラレナイワァと影で絵里を茶化しているため、因果が応報してるだけとも言えるが……)
だから実は、絵里は凛を気にかけるところはあるかも知れない。三話でもユメノトビラ衣装の凛の胸元を、お姉さんが近所の子にそうするようにさりげなく直してやっていた。そして、この五話のこのシーンでも、絵里の働きかける雰囲気は、近所のお姉さんが近所の子に世話を焼くそれである。お姉さんがお姉さんらしく振る舞うことに上手いも下手もなく、ごくごく自然な行為。絵里の行動というのは、考えた上での決断は、実は考えてない一般論手法だから明後日を向くことが多い。けど、やりたいこと、自分の感情気持ちに素直になった時、とても自然にその行動は状況に馴染む。このシーンがどうかというと、だから判断に窮する。結果は聡明なライバー諸兄諸姉が既に目撃している通り。つまり結果オーライであるw
結局、花陽や真姫という同輩。そして今後の為にも一年生がやったほうがいいと言うにこや希のはたらきかけにより、凛はしぶしぶではあるが暫定リーダーを承諾する。
その後、にこ真姫花陽凛の四人での屋上での練習風景。暫定リーダーとして凛が練習を仕切ることとなるが、慣れない凛は緊張しっぱなしで調子が出ない。ちょっとした真姫とにこの意見違いなどあるが、リーダーとして上手く纏められない。
別段、μ'sは常に誰か一人がイニシアチブ握るわけではないし、穂乃果は普段みんなを纏めていない。絵里や海未が要所で意見調整役、まとめ役みたいな発言をし、ひとつの方向へと進んでいくのがμ'sだ。どちらかというと絵里と海未の不在がまとまりきれない一因となる。
そんな状態のμ'sであるから、凛でなくとも、花陽や真姫でもそれなりに苦労するとは思うのだが、特に凛は苦手意識がある。負けん気の強い真姫や、意外とここ一番で度胸の座る花陽ならば、程なく彼女たちらしくリーダー役を全う出来るのだろうけど。凛はいつもの調子が出せず、何だか妙にしおらしくなっちゃったりもする。ある意味で、とても女の子らしい。いわゆる『強い女性』の多いμ'sメンバーの中では、実は一際の異彩となる。
その日の練習を終え、帰路。リーダーという責務がしばらく続くことに物憂げな凛。みんなが認めてくれて任せてくれたんだからきっと出来る、花陽と真姫はそう励ますも、凛は予想外に頑なである。出来ない出来ないと否定し、しぶしぶ承諾したけどやっぱり出来なかった。頑なになるのも無理はないし、理由はそれだけじゃない。
小学校低学年のある時、ちょっとらしくないという自覚はありながら、スカートを履いて登校した凛。花陽は可愛い可愛いとベタ褒めなのだが(勿論実際に可愛い)、心ない男子生徒数名に、似合わねーとからかわれる。全く全然ダメではないのだが、一念発起してスカートを履いてみたのにダメだった。今の暫定リーダーの件と被る出来事だ。このへん、同じく活発な性格の穂乃果とは対称的だ。穂乃果は何かに取り組む時、ダメかも知れないなどとは考えない。それがあのパワーに繋がるのではあるが……。
恐らくその頃からずっと、凛は自信を喪失している。元来自分にはスカートがあまり似合わないという自覚はあったはずだが、一念発起した結果の否定となり、より大きく深い負の感情。つまり自信喪失へと繋がってしまった。元来の活発さや元気さは無くさなかったが、無意識に脇へ脇へと目立たない方へ行く。自分からこうだと発信したり出来なくなる。意外と土壇場で根性を発揮する花陽とは対称的に。そして、根源となる要因である『女の子らしさ』に対する負い目も、それまでも意識したのにより強く意識してしまう形でずっと。
活発、元気、何も考えてない、けれど引っ込み思案。そんな複雑な人格が形成されてしまったのが星空凛だ。何も考えていない、というのは、恐らく考え始めると常にネガティブな方向へと陥ってしまうから考えないようにしている。と思うのだが、それは根拠のない推察となるのでこれ以上は割愛する。

結局凛は、尚もはげまそうとする花陽と真姫に背を向け走り去る。けれど別に花陽たちが強く言い過ぎ、押しすぎというわけではない。自分はやっぱりだめなんだと視野狭窄に陥っている状態の凛だったから故である。
本来、『女の子らしさ』という部分で非難されたことと、リーダーがうまく出来ないことは別々の事柄だから、それぞれ分けて考えればいい。でも、そんなふうにパーテーションで区切るように思考を分別できたりは人間はしない。特に凛はそういう風に、そもそも考えることに慣れてないだろう。簡単に視野狭窄に陥ってしまう。まあ、絢瀬絵里なんかは、陥ってるのに陥ってないと理性で判断したりする子だし、大なり小なり彼女達は学生らしく誰もがそうだ。留学を言い出せないことり然り、μ'sを辞めると言い出した穂乃果然り、穂乃果たちの活動を認めなかったにこ然り。当然、絵里も。
ここで花陽は真姫に、凛がかつてスカートをからかわれたことを伝える。真姫にとっては、何で逃げ出すほどなの?と疑問だろう。けれど花陽はずっと凛を見てきたのだから凛のことを分かってあげられる。これは、親友の秘密を比較的最近親しくなった共通の友達にそっと教える、という場面でもある。基本、みだりに他人の秘密を教えたりしないし、してはいけない。けど花陽は、真姫と長く接し、教えてもいいと判断した。そして恐らく真姫は、そんな凛に同情をしつつも、ちょっと嬉しかったんじゃないかと思う。つまりは親友として認めてもらえた。それまで認められてなかったわけでは断じてないが、それを明確に表してもらえたのだから。素直になれない子の代名詞のような真姫であるが、この五話ではとにかくストレートで真っ直ぐで、素直に凛を応援する。こんなに素直な真姫は後にも先にも二期五話だけだ。(あとは一期三話、ことほのうみのスタダ披露のあとの拍手)くらい。
何気ないシーンだけど、すごく大事なシーン。二年三人や希と絵里は元々構築されている人間関係だ。けれど真姫と凛と花陽は、三人としてはμ's以前はなかったもの。人間関係の成長の一端が垣間見れるシーン。

ここで五話は後半へ。沖縄への修学旅行は大荒れの大荒れ天気で外出もままならない。穂乃果たちはやむなく部屋でトランプに興じているが、そこに悲報。悪天候のせいで東京への帰還が遅れるとのことだ。そうなると、参加予定イベントであったファッションショーに、穂乃果達は間に合わない。
さてこの修学旅行組、ことりと海未は旅行を楽しむのに余念がなくて、とにかく始終楽しそう。けれど穂乃果だけは所々違う様相を見せる。要所で絵里と連絡を取り合うなどし、居残り組側の調子を気にしたり、進捗の摺り合わせなどしていた穂乃果。絵里と連絡で、凛が暫定リーダーとして進めてるというのは知っていた穂乃果である。暫定リーダーを現行リーダーが気にするのは至って自然であり、けれど一期までの穂乃果には見られなかった方向性である。
そして場面は居残り組へ。「帰ってこれないー!?」と叫ぶ凛。早く暫定リーダーの肩の荷を降ろしたい故当然の反応。Aパートで「凛がリーダー!?」と叫んだ場面と同じパターンで、凛ちゃん受難の日々だなあと可笑しみを感じる。繰り返しはギャグ・コメディの基本。可哀想だけど面白いシーン。
時を同じくしてファッションショーイベントで着る衣装が届く。そう。ことり(衣装係)が居ないからファッションショー、つまり衣装を外部に用意してもらうのだ。また、服飾関係というのは理事長関係か?なんて推察も出来る。ラブライブはそのシーンそのシーンの妥当性、必然性をとにかく上げてくれる。結婚式をモチーフとした衣装であることも、コンセプト性のある衣装であると理解出来るし、『平凡な女の子がお姫様になれる』のが結婚式であり、ウェディングドレスだ。ちょいと先取りになるが『凛の夢』とも恐るべき一致を果たすのである。
どうやらファッションショーでライブも演る予定らしい。ここで問題になるのが、これまで穂乃果が担ってきたセンターという役目だ。そして、今回センターは暫定リーダーである凛にやってもらいたい。そういう話になる。けれどセンター役が着る衣装は、ウェディングドレスをモチーフとしたとびきり可愛い、女の子らしい衣装。女の子の願望を現したような夢の様な衣装となる。花陽はうっとりと目を細めるが、凛としてはたまったものではない。普段の可愛いアイドル衣装も、センターでなくて端っこ、しかもみんなと同じだから平気。でも今回は違う。センターだけがとびきり可愛い衣装で、しかも真ん中。凛としてはたまらない。
隙を突いて逃げ出そうとするも、何故か部室の鍵がかかっていて逃げられない。何とにこが施錠していたのだ。何かと凛に追い回されるにこの、まさかの反撃であった。結局逃げおおせるのだけど。その後、屋上にて腹を割った話が交わされる。
あくまで仲間たちはとして、凛にやってもらいたい。μ'sでは穂乃果がリーダーと決めているから、穂乃果がセンターをやる。けど居ない時は、誰に任せるかのかの論拠がなくなる。だから暫定リーダーの凛にやってもらうことになるのはごく真っ当だ。
けれど凛は強硬に拒否し、その後やがて、どうしても無理だからと、ある意味で懇願にも近い雰囲気で皆にそれを伝える。ここで凛は、髪だってこんなに短いしと理由らしい理由を述べるが、短い花嫁さんだっているんだから気にすることないと確か真姫が言う。これ、真姫が言うまでもなく、理由にもならない理由なのは誰の目にも明らか。それなのに凛がこんな理由を挙げるのは何なのか……。

実は一期の二話か三話。序盤の回で凛は全く同じことを言っているのだ。花陽がアイドルをやりたいことを凛は知っている。やってみるといいよと励ますが、凛ちゃんも一緒にしてくれる?と花陽は返す。その時、女の子らしくないし髪だってこんなに短いしと凛は答えるのだ。一期でのそれは、やや冗談めかしたような言い方の凛だったから、特に誰も気にしなかったし私もそう。(花陽がどこまで見抜いていたかは分からない)
けど、二期のこの場面のように、真面目に話しているところで持ち出してしまえば明らかに浮いてしまう。まるで冗談みたいな理由なのに、それでも真姫が「髪の短いお嫁さんだっているし」と誠実に答えるのは、真姫の最大限の思いやりである。凛の言い分を無碍にしない。
誰もそんなこと気にしない。凛だけ。だから気にしないでもいいと、誰もが思うところだ。
けれどこれはおそらく、凛が自分に立てている言い訳なんじゃないかなと思う。自分が女の子らしくないのは髪の毛が短いから。勿論短くしてるのは凛の意思なのだけど、その言い訳を立てるためにそうしているのではないかと。髪が長くなったら、女の子らしくなるしかない。けれどそうして尚、女の子らしくなれなかったら(≒またからかわれ、否定されたりしたら)、もはや言い訳はきかなくなる。本当に星空凛は女の子らしくないと証明されてしまう。髪が短いから女の子らしくない。それが凛の最後の生命線だった──と、推察出来る。全く同じ言い分を一期二期で繰り返し見せるのには、きっと意味があるのだ。
一期ではその言葉は自然に冗談めかしていたから気付かない。けれど二期、この流れで髪が短いからと理由を述べるのは明らかに違和感がある。しかも凛は大真面目なのだ。凛だって断る理由になんかなりはしないと解ってるはずなのだけど、それでも理由として上げてしまう。それは、他人から見れば些細なことだけど、凛にとっては最後の一線。理由にもならないその理由を上げるのは、もはや降伏宣言にも近い。
たらればの話となるが、それでも仲間たちが凛のセンターを推したなら、もしかしたら凛は壊れていたかもしれない。μ'sに嫌気が差して出てこなくなる、皆と距離を置く、身を入れない。やりたいからやるのがμ'sなのに、やりたくないことを嫌々、それこそ仕事みたいにしてやる。そんな風に凛が自棄になる瀬戸際だった。押されて暫定リーダーを承諾したように、恐らく凛は押しに弱い。
ここで救いの手は絵里から差し伸べられる。確かにリーダーにセンターもやらせるというのは酷よね、と。お前が推したんだろwと誰もが突っ込むところである。絵里の態度から察するに、恐らく凛の心境を組み取ってはいない。が、リーダーとセンターの兼務は重荷、という得意の一般論が、ここで表目に作用する。
じゃあ誰が別の人をセンターに立てようという事になる。元々の衣装サイズは穂乃果に合わせて作られていたらしい。体型背格好の似てる人、という理由で花陽に白羽の矢がたつ。衣装を合わせてみると、皆の反応も上々。凛もセンターという重責から逃れられ、途端元気になる。やっぱりかよちんが可愛いにゃ!かよちんがセンターにゃ!と。非常に凛らしい反応。けど、部室からの去り際、凛は花陽に、というか衣装に……か? 視線をちらりと向ける。名残惜しそうに。花陽はそれに気づくが、凛は答えずそのまま部室を出る。何も考えていない。いつでも楽しそう。そんな凛の性質の対角線がここで描かれる。
着たいけど着られない。言いたいけど言い出せない。したいことに思いを募らせるのが花陽なら、それを頭から排除するのが凛。色々な理由をつけたり、それに近寄らないようにして、そんなんじゃないと自分に言い聞かす。したいことを隠せない花陽だが、凛は隠してしまう。だからこの場面でも、花陽以外は気付かない。真姫は、気付いていたかな?

場面が変わり、凛の自室。照明を落とした暗い部屋で、ワンピースを自分にあてがっている。本心では着たい。でも着られない。このシーン、髪が短いという理由に続き、一期でも同じシーンがある。これもまた一期と同じシーンながら使い方を変えることで凛の悩み、歪みを表わしている。
一期では、同じく暗い部屋で真姫がパソコンでμ'sの動画を見ている後で、確か凛が暗い部屋でワンピースをあてがっていた。これ、暗い部屋暗い部屋と二度続いているから、ああ夜なんだな、という程度にしか認識できなかったんだけど、今回の場合、凛はわざわざ部屋を暗くしてワンピースをあてがっているというのが分かる。つまり、暗くしないとあてがうのすらも恥ずかしいのだ。普通、ああいうことをするなら、よく見えるように部屋を明るくするだろう。どれほど根が深いのだろうと私は驚きを隠せなかった。一期と同じシーンを使い方を変えることによりガラリと意味を変えてしまうシンプルながら効果的な技術にも。ちなみにこの暗い部屋。五話最終盤の演出に効いてくる。今はまだ、真っ暗な部屋だ。
同じ夜に、穂乃果から花陽へ電話。確か絵里からの電話でセンターが花陽に決まったと穂乃果は知っている。ここで一期の穂乃果ならば凛に連絡したのかも知れない。けれど、凛ではなく花陽に決まったこと。穂乃果は何かを感じ取ったのかも知れない。恐らく暫定リーダー凛の不調を。そもそも通常、リーダーが誰かとか、リーダーの仕事とか、普段のμ'sの活動にはない故、その必然性が必要となる。リーダーだから。ただそれだけの理由で穂乃果がここまで世話を焼くのは少し不自然。暫定リーダーが悩んでいるから、現行リーダーがそれを気にする。つまり、『必然性』を上げているのである。明るくパワーが有り、そしてテンポが良いのがラブライブの作劇の特徴だが、こういった微に入り細を穿つ部分を疎かにしない。むしろやりすぎぐらいに気を配る。それもラブライブの優れた点だ。人間の行動、発言に一貫性があり、かつ必然性がある。全く恐れ入る。
センター談義。穂乃果の働きかけ。凛のトラウマの表面化。全てに暫定リーダーという要素が機能している。この第五話、探れば探るほど全てのパーツが絡み合っていて、一つでも省くと全てが崩れ去る。しかもラブライブらしさが全く失われていないことに気付く。全てのパーツにラブライブとしての必然性が込められている。精密機械のように精巧な脚本なのだ。
状況を打ち明け、どうしたらいいかと相談する花陽。花陽ちゃんはどうしたいの?と逆に問う穂乃果。それは、自分のやりたいことより花陽のやりたいことを汲み取る、という、一期の失敗を踏まえた上で、二期一話で『仲間たちのやりたいこと』に初めて目を向けた。二期穂乃果の、明確な変化であり、成長の兆しでもある。ただ成長した、ってだけではない。やりたいことに猪突猛進から、周りも見れる子になった。でもただそれだけでは持ち味が失われただけ。こうして、物事に対していい方への働きかけが出来ると描くことで、それは初めて意味のある成長となり、ラブライブという物語にとって必要な成長となる。ただしここではまだ、身近にいる仲間たちにのみ向けられている。

それから少し時間は流れてファッションショー当日。センター以外はタキシード風の衣装。じゃあ最後にもう一度踊りを合わせるにゃ!と、ややぎこちなさは残るもののリーダーらしく振る舞う凛。メンバーたちは、はい、と素直に返事をする。けど本来μ'sは、繰り返すが誰かのワンマンではない。こうして皆がはいと素直に頷くのは、凛のやり方に手を合わせている部分がきっと大きい。凛が真面目にリーダーに取り組んでいくれているのだからと。
そして、リーダーが曲りなりにこなせるようになったのは、センターでなくなったのと、花陽がセンターになったからというのもあると思う。かよちんが頑張るなら凛も!という普遍的なヒューマニズム。リーダーを嫌がっていた時期もあったが、センター回避、花陽センターでマイナスからプラスに思考が転じるのは、これもまた人間ならばあること。やりたくないリーダー責務が残ったのは変わらないのだが、気持ちの持ちように差はある。これは、思考をパーテーションで区切れない凛だからこそ(凛だけではないが)、今度はそれがポジティブな方向に発揮されている。花陽がセンターを頑張ってくれる。ならば私はリーダーを頑張る。これは凛らしい何も考えない底抜けの明るさとは少し違う。それぞれの場所で役割を頑張るという理性を伴う頑張りである。結果として多少は自信喪失は改善された……はずである。
衣装を着る段になり、凛の衣装が保管されてる場所を開けると、何とあのウェディングドレス衣装が。驚く凛。振り向くと、仲間たちはみなタキシード風衣装。戸惑う凛に花陽が言う。大丈夫、凛ちゃんは可愛い。私だって抱きしめたくなるほどにと。真姫も続く。一番女の子らしいのは(≒一番この衣装が似合うのは)凛なんじゃないかしらって。
女の子らしさに対する負い目からずっと自信喪失をしている凛だが、リーダーをそれなりに上手にこなせたからといって、自信は少し回復するかも知れないけれど、女の子らしさに対する負い目が解消するわけじゃない。パーテーションで区切れないし、きた道を必ずしも戻れないのが人間の心理思考だ。だから。だから、可愛いよ!って全幅の信頼て教えてあげるしかない。大本の悩みに訴えかけてあげるしかない。そしてそれは、花陽にしか出来ないこと。そして、それは視聴者はもう冒頭で知っていることでもある。プールに花陽と真姫を突き落とした凛の笑顔。凛ちゃんは可愛い、と。
ここで流れるBGMは、『花陽の決意』。音、映像、物語とで全部で伝えてきてくれる。
ぽん、と凛の背中を押す花陽と真姫。自信喪失が少し改善されていたのも、きっと凛の足に込もる力を強めただろう。

全く情感もへったくれもなくて恐縮だが、ここで凛の喪失と再生の道のりを記載する。

1.らしくないという自覚がありながらスカートを履く小学生凛(凛の夢、やりたいこと)
2.心ない男子生徒に似合わない可愛くないとなじられる。
3.自信喪失をする
4.暫定リーダーを上手くこなせないでより視野狭窄に陥る
5.花陽センターによりある程度暫定リーダーをこなせるようになる
6.自信喪失がある程度は改善される
7.花陽に「可愛いよ!」と訴えかけられる。
8.らしくないという自覚はまだ残るものの、ウェディングドレス衣装を着る
9.大昔からの凛の夢、やりたいことが叶う

と、綺麗に巡った道を戻っているのだ。一人では戻れなかった。けれど真姫という新しい親友の後押しもある。もちろん、花陽の全力の手助けもある。仲間たちの力添えにより、喪失の道を再生のために再度巡っていったのだ。まあ、一期のにこも、喪失と再生の道のりは表裏であったのだけど、基本的でありながら最良で、最善。そして誰にでも伝わる喪失と再生の物語だ。

そしてファッションショーのステージへ。ちょっと照れながらも、衣装を着た凛が挨拶をする。そしてこの舞台のために作った曲。屋上で練習もしていた新曲、love wing bellに入る。衣装のコンセプトからか結婚式ソング風。けど、この時の凛の心境にもマッチしている物語性が最大限組み込まれた曲。一期のスタダと同じくらいに。
二期の作中曲の映像として、ユメノトビラは完全にμ'sのダンスだけを写すもの。けれどLWBは、踊りは殆ど移さずにシーンを繋いでいく手法のもの。どちらも良いものだし、バランスよく混ぜあわせてもいい。でも二期の手法として、シーン混ぜは徹底してシーン混ぜ、ダンスだけならばダンスと明確に分けてくる。シーンがあればダンスが見れない。ダンスがあればシーンが見れない。ジレンマではあるが、明確に分けたのは潔い選択だと思う。
LWBのシーンでは、ファッションショー後のことが描かれる。成功して、それを携帯で穂乃果たちに写真付きで伝える凛。ショー直後のこと。更にその後、どこかに出掛けるらしい凛が、あのワンピースを明るい、真っ昼間くらいに明るい部屋で着て、姿見の前でくるくる回る。けれどその後は凛らしく、勢い良く駆けて部屋から飛び出していく。あの暗い部屋との対比となる。
そうして曲終盤、今度はいつもの屋上へと駆けていく凛。けれどいつもと違う練習着。それを着て、屋上への扉を開くと、陽の光がぱーっと広がる。暗い部屋から、明るい場所へ。悩みから、その一歩先へ。これまでの私から、新しい私へ。
凛の新しい練習着姿、スカートで可愛らしい衣装に、皆が一斉に表情を明るくする。花陽と凛は特に、良かった。本当に本当に良かった、っていう素直な満面の笑顔を浮かべる。花陽はいつだって素直なのだが、あの素直になれない真姫までもがだ。それだけ「良かった。本当に良かった」という出来事なのだから。私はここでぐっと胸が詰まった。何故ならそれは視聴者の気持ちとの一致なのだから。
みんなが受け入れてくれた。こんな私がいてもいいんだ。そんな風に、ちょっと恥ずかしがりながらも、新しい場所、新しい私を噛みしめる凛が、練習いっくにゃー!と掛け声をあげ、五話は幕を下ろす。
ぱっと見るだけでもスムーズに伝わるシンプルな内容であるし、内容を考えて深めれば深めるほど良さが分かる。暫定リーダー、修学旅行でメンバーが離れていること、凛の悩みとその表現、穂乃果の成長、ファッションショー、楽曲と、およそあらゆる全てのパーツがこの五話には必要で、どれか一つとして省いていいものはない。また、キャラクターもそれぞれがそれぞれらしい。更にこれは、一期とは少しテーマや目的を違うくしている二期において、明確に一期の路線を踏襲した話であり、一期のいずれにも劣らない出来の話となる。加えて二期の一部分として見るならば、『みんなの夢』という大きなテーマ性に添って、仲間たちの夢、クラスメイト達の夢、メンバーの家族達の夢、と少しずつ広く大きくしていく道のりを辿る二期において、『個人の夢』というミクロな地点(≒一期の路線)に、ここで今一度立ち戻ったとも言える。個人の夢の実現なくして全体の夢の実現はない。個人の夢をオミットして実現した全体の夢などに意味は無いのだから。
まさに珠玉と言える第五話。素晴らしい出来栄えだったと思う。


<六話:ハッピーハロウィーン
個人的な感想から単刀直入に入る。この六話、きっと見所は数多くあるのだが、個人的には面白みや意味を見出だせなかった。面白いというだけならば、コミカルなシーンは多く、声優さんのいつもと違う演技も聴ける。それが面白いと言えば面白いのだが、「ただ面白いだけ」である。それが二期のテーマ性に繋がっていないのだ。ラブライブ優勝を目指していくのが二期だから、やってることは繋がっている。いわゆる迷走回であるが、最終的に『自分たちらしさ』に帰結するのは堅実な一歩だ。しかし、ラブライブ優勝というのは、イコールみんなの夢でなければならない。そこに繋がっていないから散慢で意味性の薄い印象を受けてしまう。そういう話だった。

秋葉原でのハロウィン祭りでライブに出演することになったμ's。他にもアライズの出演も決まっており、強敵との共演に今までのμ'sではない新しいμ'sを見せなくてはと知恵をしぼる一同。
部活系アイドルであることを強調する手法や、キャラクターを入れ替えてみるなどあれこれ手を尽くすが、いずれもしっくりこない。実はこれ自体が見所となっており、他所の部活のコスチュームを身にまとったり、海未が凛の物真似、凛が絵里の真似をするなど、声優さんのいつもと違う演技などが楽しめる。実際それは見ているだけで楽しい。
それ自体が面白い、というのはわかるし、実際面白いのだけど、ただやってるだけ、という感が否めない。冒頭で書いた通りだ。テーマとしては迷走なわけだけど、ならば迷走から正道に戻りつつも、迷走から新しいものを得るよう話を持って行ってもらいたい。
二期の作劇において、Aパートで何気ない日常シーンを見せつつBパート、そして話の根幹に繋がるエピソードを描くのが二期の基本的な作劇。ならば見終えた後に、結果的にAパートにも意味を見いだせる。
けれどこの六話、それがほぼない。希のカード占いでAパートを締めるのだが、Bパートに入っても変わらず迷走が続く。今度は有名なバンドの物真似となるが、結果的に理事長に咎められ、いい加減やめようという話になる。この、理事長室に呼び出されるところまで含めて面白いコメディなのだが、コメディの基本、繰り返しが面白いのは二度目まで。三度目をやるなら、全く違うものを入れ込むか、そもそもやらないか。
ただ迷走シーンを書くために迷走しているだけにとどまり、その後、やっぱり自分たちは自分たちらしくていいんだという結論も、特にそこに行き着くための必然性がないし、「いつもの自分たちでいいんだ」という結論に行き着くんでしょ?と容易に想像できてしまっているのもマイナス点だと思う。
二期の作劇に沿わせるならば、迷走した結果、何らかの理由により『みんなの夢』から遠ざかってしまう。それに気づき、危機感を抱く。そして、それを解決するための手法として、「いつもの自分たちでいいんだ」という答えを提示することこそが、「意味のある迷走」だろう。
繰り返すが、迷走し、けどいつもの自分たちに戻る。それは正しい流れなのだ。だからそうなりうる妥当性を上げて欲しかったし、欲を言えば、いつもの自分たちでいい、という予想しやすい結論よりも上を行くものを用意して欲しかった。それは一期六話のセンター談義にも言えるのだけど、きっと穂乃果がセンター、リーダーということで落ち着くんだろう、と容易に想像できてしまうところから、一期六話は実はそれほど面白いと思わない。
迷走というマイナスを経て、いつもどおりでいいというゼロ地点に戻る。それじゃ何のためにこれ見たの?と思ってしまうのもやむなし。マイナスから少しでもいいからプラスに転じて欲しかった。とにかく前へ前へ、というのがラブライブの良いところだと思うし特徴でもあるし、持ち味なのだから。

あと、ネット界隈を賑わした海外ドラマの模倣シーン。佐原は気付かなかったのだけど、あそこまで丸ごとぱくってしまえば誰かが必ず気付き、そして丸ごと何の工夫もなく真似してるわけだから叩かれてもしょうがない。
真似なんていくらでもしていいという意見はあるだろう。あれはオマージュだからいいというい意見もあるだろうけど、いずれにしても何も考えずにそのまま真似てしまったらそれは創作じゃない。ただの模倣。オマージュというのはリスペクトの証であるのに、そのまま真似たら失礼でしょう。元の作品が好きで、とりわけ気に入ったシーンを使いたいなら、ラブライブ!なりにアレンジして活かして欲しい。しかも、多分その海外ドラマを愛してるのは一部のスタッフだけで、ラブライブ!に関わるスタッフ全員が愛してるとは到底思えない。当人以外には一切関係ない。ただの迷惑であり、ただの一部スタッフの自己満足だ。自己満足目的ならば山にこもって一人で創作していればいい。
真似なのかオマージュなのかの線引きなんてのは、けれど永遠に出来ないこと。それに対してどんな意見があっても、まあ個人的にはいいと思うのだけど、こういうことをすればどうなるのか。流行りものの叩ける場所が見つかったら、叩いてけなすのを生きがいにする連中がどこからともなく湧いてくる。ラブライブ!が好きで追い掛けて見てる人たちが、こういうパクリはやめて欲しいというなら分かるが、叩くために普段注目もしない連中がここぞとばかりに叩くのは、考慮の余地もない。そして、そういう連中に故意に餌を与えるようなことをしないで欲しい。きっと要所のセリフなどに、件の海外ドラマの他にもいろいろ引用はあるのだろうが、気付かれない程度に止めきちんとアレンジしてくれるならいい。ラブライブにとって必然性があるまでにきちんと昇華させるのは勿論のことだ。

特にこのシーンは、私はパクリには気付かなかったが、違和感は大いにあった。迷走した結果ライブまでの期間がタイトになり、衣装作りを手伝うにこであるが、ここでにこはことりに対して、そして状況に対して苛立ちを隠さない。貧乏くじ引かされてるんじゃないの?などと、「らしくない」セリフを話す。曲、詞、そして衣装。いずれも彼女達の「やりたいこと」のための道のりだ。それに貧乏くじも何もない。恐らく曲や詞も同じようにタイトなスケジュールの中、制作していることだろう。これは二期二話の合宿での状況と似ているが、あの時にこは、きちんと真姫を応援しアドバイスを出来ている。なのにことりには出来ないのか? 迷走したのは誰のせいでもない。九人のせいなのだから。ようは、ここまで仲間たちと助け合ってきたはずのにこなのに、「何にも分かってない」のである。
加えてことりの答えも上手いとは言えない。私は私に出来ることをする。そうことりは答えているが、これではやりたくないことを無理にしていると言っていると捉えられなくもない。やるべきことをやるのではなく、やりたいことをやるのがラブライブの一貫したテーマだ。それは特に、一期の絵里のエピソード周辺で描かれているはずなのだが……。ラブライブらしさ。テーマ性。いずれにも噛み合わない。むしろラブライブを全く知らない脚本家にいきなり書かせたような粗末なシーンとなる。

だから軽い炎上になった。パクリとオマージュの線引きは、けれどどこまでいっても出来ない。けど、それが明るみになればこの六話のように炎上すると今の世の中を少し知ってれば分かること。ならば、他のスタッフや声優、熱心に追い掛けるファンの気持ちに水を差すようなことはしないで欲しい。それがプロの作品作りじゃないんですかね。と、この六話のことをやらかしたスタッフに面と向かって言いたい気持ちだ。
まあ、人間は一度失敗したらなら後悔して反省し、次に生かしていく。きちんと自分の行動が自覚できる真っ当な人間ならば。穂乃果が同じ失敗をしなくなったのと同じように、スタッフにも成長してもらいたいものだ。そして今後のラブライブの展開では同じ轍を踏まないで欲しいと切に願う。



<七話:なんとかしなきゃ!>
六話で凄い引きがあったから一体何事かとあれこれ推察したのだが、七話開始1秒でそれはブラフだったと気付く。あ、これは深刻なエピソードではないと分かってしまう。人それぞれの部分だろうが個人的には拍子抜け。ああいう六話だから次は真面目に来て欲しかったので。
一期でも廃校の引きがあった。あれはあれで詐欺まがいの引きではあった。結局それは確定ではなかったものの、驚かせやがって、という安堵が逆にあった。廃校という重要な事柄ゆえの真剣味もある。けどこの七話の場合、ただの引きのための引きだ。果たして必要だったのか?この引きは……。
身も蓋もなく結論を述べるなら、六話に続きこの七話もイマイチ手応えが無かった。狙いは充分に分かるのだけれど。
穂乃果の部屋で雪穂が見つけたのは健康診断表、みたいなものか。穂乃果の体重がかなり大変なことになっていたらしい。ショックを受ける穂乃果。海未に促されスタダの衣装を着ようとするが、どうも入らなかったようだ。食欲の秋のせいかいつもどおりか、食べ過ぎで体重が増えてしまったらしい花陽と一緒に、二人ははダイエットに取り組むこととなる。
一期で穂乃果はいつもパンを食べていたから、こうなるのはやむなし。要所で白米を沢山食べていた花陽においてもまた然り。だが、とにかく過剰なほどにエピソードやシーンを詰め込んでくるラブライブにおいて、このダイエット談義というのがそもそも必要なのかという目で見てみると、必要ではない。ラブライブ出場を目指す上では必要なことなのだろうが、例えば、腕立て伏せ百回を達成するとか、衣装のための材料を安く調達するとか。例えばの話だが、そういうものを見せられても困るのだ。この二期が2クールで、穂乃果たちのアイドル活動の何気ない日常を描く(例えばスクフェスのストーリーそのものだ)方向性も視野に入れてるなら、その辺りのエピソードも丁寧に描いてくれれば、「それ自体が楽しいし価値があるし、大切だ」そう思えるのかも知れないが、1クールもの、特にラブライブのように前へ前へ、常に新しいステージへ、というのが根幹にある作品において日常モノらしい演出や方向性は食い合せが悪い。それを丁寧にやるほどの尺はないし、たった一話や二話、あまつさえAパートだけでその『日常』を描き出せるものでもない。日常ってそんなに簡単じゃない。けいおん二期のように、そちらにガッツリと舵を切ってくれるくらいしないと伝わらない。

予告編で映るスタダの衣装、なにやら大変なこと、そして恐らく生徒会絡みのトラブルもあるとであれこれと推察したものだけど、ダイエット談義かよ、という失望は拭えない。そういうのが見たかった、という層は少なくないだろう。コミカルで目が楽しいシーンでもある。けれども果たしてそれがラブライブなのか?という疑念は晴れない。
ダイエットに専念する穂乃果と花陽のコミカルなシーンなど、六話と同様に、見ている分には楽しいといえるのだけど、正直、それくらいならスクフェスで幾らでも見れます。アニメ本編はそれより一段階質も、意味もを上げて欲しいと思う。残された時間を握りしめて、という二期OPの歌詞の一節だが、そんな気迫が伝わってこない。

そんな状況の中、同時に生徒会で各部活動の予算案作成という案件が進んでいた。美術部の子が予算希望書?的なものを持ち来訪し、穂乃果たちがそれを受け取る。それをことりが、「承認」と書かれた箱のなかに収める。隣には否認の箱もある。ここ、奇妙に違和感のあるシーンで、見ている側として誰もが「あれ?」と思っただろう。後々これがトラブルの火種であると明らかになる。
話はダイエットに戻る。花陽は概ね体重を戻せたらしいが、穂乃果はあまり成果を上げられなかったらしい。どうも間食をしているようだった。ことりが穂乃果に甘いからなのだが、当然海未にどやされる。なかなか穂乃果は減量に本気になれない。
その後、トラブルが発生する。どうも美術部の子が決まってるはずもない予算案が通ったと勘違いしたらしく、苦情を申し立ててくる。確かに承認の箱に入れた。正式に承認される前なのに。しかし美術部の早合点もある。つまり双方に落ち度がある。それでも穂乃果たちは誠実に解決への道を探ろうとする。
一連のこのシーン。その方向性自体は全く間違っていないけど、ここで重要なのが、ことりが承認の箱に入れちゃうシーン。恐らく入れてはダメだったのだろう。それを見ていた美術部が早合点した。やりたいことは分かるけど、そもそもあの箱の存在が意味不明。生徒会の身内だけで用途の通じるあの箱は、外部の美術部が見せてはならないものだった。推察で埋めれなくはないけど、もう少しことりが間違うプロセスを丁寧に書いてほしかった。重要な場面なんだし。
この七話、一言で言うと油断。油断して体重が増え、ことりの失敗も油断。とはいえまあ、穂乃果はいつもパン食べてたし、花陽は白米好きの食いしん坊バンザイだから納得は出来るけど、ことりはただ油断してただけ。失敗なんて偶然の産物ではあるのだけど、もうちょい何か理由があっても良くない?でないとことりを下げるだけのエピソードになっちゃう。その後で取り返せたとしても。しかも六話で、私は私にできることをやる、とにこに断言した後だし。一期の留学といい二期といい、どうも脚本に振り回されてる感のあることり。特に二期はことりの見せ場が少ないのに。もうちょい、ことりっていうキャラクターを丁寧に見せることに重きを置いて欲しかったです。
結果的には、穂乃果と海未とことりが夜遅くまで予算案を調整し、何とかどの部活も納得いくよう持って行き事無きを得る。
正直、六話と七話にあまり意味を感じないのが正直なところ。七話における一般生徒との繋がりは今後に絡んでくる要素であり、あとあと機能してるんだけど、今のこの七話というのも面白く、質高く作って欲しかった。あくまで誠実に一般生徒たちに向き合ったこと。それ自体に意味はちゃんとあるのだが、『みんなの夢』というとことに繋がっていないのもマイナス点である。
迷走、油断、衣装作りが急がされる、生徒会の失敗、そのへん上手に絡めてもっと面白くかつ妥当性を上げることは出来たと思うし、そもそも、もっと他にやれる事、やるべき事はあったんじゃないか?と思ってしまうのが難しいところだった。